鬼火の必然、稀有の演奏。
★★★★★
このリヒテルのアルバムを買ったのは、
ポリーニのベートーヴェン・ピアノ・ソナタアルバムを聴いたのがきっかけだった。
「22番・23番・24番・27番」を収録。
ポリーニの場合、音色や完璧に磨き上げられた音質はすばらしいが、
演奏となると音楽ターミネーターのようで強い不満感が残った。
口直しに、あるべき形に近い、聴きたい音質の演奏を聴きたくなる。
“リヒテルだったらこれらをどう弾いているのだろうか”と思った。
19番、20番、22番、23番は、
1992年アムステルダムのライブ録音
(77歳、逝去の5年前)。
19番、20番は、ベートーヴェンが弟子の練習用に書いた
可憐な2楽章形式の曲(ソナチネと言われることもある)。
様式の冒険や、感情の爆発的表現は持たない曲だが、
古典派らしいきりっとした魅力がある。
リヒテルは美しい余韻を残す大理石のような音で
全曲を弾ききっていく。
22番も2楽章構成だが、作曲者は自らに引き寄せて創作している。
ロベルト・シューマンはこの曲を高く評価した。
「熱情ソナタ」に関してはブーニンの有名曲セットアルバムで満足していたので、
他のピアニストの演奏を探そうとしていなかった。
ブーニンの良さは、全体に音符に正確で、変な歪曲がなく、
強打する時に品位がある点だ。
よくあるのがヒステリックな癇癪もちの爆発みたいなベートーヴェンソナタだ。
これを聴いてしまうと、ベートーヴェンの音楽自体(あるいは作曲者自身)が
そういう性格のものだと思ってしまう。
当然ながらリヒテルの22番、23番、27番はポリーニのそれとはまったく違うものだった。
22番の集中力、凝集力はすさまじく「リヒテルの音楽宇宙」という言葉が浮かんでくる。
精密でありながら神秘的。
いよいよ熱情ソナタだが、リヒテルのピアノの音で会場が緊迫し
静まりかえっていく。音楽の聖堂に列席した人々。
作曲者が曲に込めた感情・熱情・激情が
完全に彼のものとなって、鍵盤上に噴出する。
曲が、本来の生命力を与えられて甦っていく。
そういう音楽体験を、このCDですることができる。
ベートーヴェンの最後の3つのソナタ、
これは1991年シュトットガルトでのライブ演奏。
リヒテルはこれらの曲を、なんと1つの曲として通して弾いていく。
事前に説明があったのか、曲が終わっても、観客は拍手をしない。
リヒテルは、8楽章を一気に弾いていくのだが、
それはひたすら自分と向き合い、ピアノと向き合い、曲と向き合う1対1の真剣勝負。
キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」を想い出す。
アムステルダム・ライブでは、会場の全体的な雰囲気がとらえられていたが、
ここではマイクセッティングのせいか、音が、よりピアノと演奏者に迫っている。
グランドピアノの真下か、鍵盤の正面で聴いているような状態。
演奏者の呼吸音や床を踏む音が聞こえてくる。
30番の最初を聴き出したら、もう32番の最後の音まで聴かずにはいられない。
ベートーヴェンの後期ソナタの演奏では、ヴェデルニコフのものが世紀の名演と言われているが、
リヒテルの「8楽章一気弾き」の方が、曲の深奥に迫る稀有な演奏だと思う。