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山の霊力 (講談社選書メチエ)

価格: ¥346
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 講談社
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山岳は日本精神の背骨(^ω^;)(;^ω^) ★★★★★
◆元々、山が生きる場所
 農耕以前、縄文人、原始社会において、山は貴重な食料庫であった。
 古代人の想像力が、山の神の姿をオロチに結びついていった。
シメ縄は交尾するオロチの姿よりくるもの。蛇体信仰は巨木信仰へ移行した。

◆古代人の宗教観
 古代人は科学的知識に出会う以前であり、その宗教観は現実的なもの。
超越的な神観念ではない。
 古代人にとって、森羅万象かたちあるもののみがカミであった。
山がそうである。地域性をおびている。原始的宗教では、素朴な生命礼賛が中心。
魂の救い、解脱、真理追究というものではない。

◆山の神から田の神へ
 狩猟採取の縄文時代から、稲作農耕の弥生時代となる。
 水の確保と太陽の動きが重要となる。水分信仰(龍神)と太陽信仰が発生。
山の神は田の神へ変え、平地に神社を建てる。
初期の神社は自然信仰の形態をとどめ、山から里へ旅する神に
大げさな建物は不要だった。

◆田の神から国の神へ
 神社は先住民が祭祀を営んでいた霊場。征服民が聖地を奪いとり、
そこに自分達の守護神を祀る。
いろんな神が出会い、争い、妥協しやがて一つの合体神として
祀られるようになった。

 近畿中央にいた出雲族が大和族に侵入され離散する。
鬼とは、まつろわぬ人々。土着の民。反逆性を誇張したもの。
 大陸の高度な文明に支えられた大和族は、権力を握り朝廷を作る。
 神が神社に常住するようになったのは、大和朝廷が権威づけと
国家の守護祈願のために、天つ神を都の近くに迎えた。


◆山岳は日本精神の背骨
 山岳は日本精神の背骨。京都・鎌倉を中心にした宗教史だけでは、
見落としがある。
神道は新旧の神々に役割分担させ、両者の間に相互補助的な関係によって
発展してきた。

◆山が光る
 岩や樹木以外何もない空間は、目に見えない何ものかに
充たされているごとくに、神聖感が漂っている。
 自分だけの山をもつ。山が「光る」感覚。山には意識を変容させる力がある。
山の神様の日本流 ★★★★☆
山の霊性を布教する本。著者の現代文明批判みたいのが浅薄であり余計だが、日本人の山に対する敬虔な態度のあり方を一覧するのにはすごく役に立つ。最近の類書に、宮家準による『霊山と日本人』(NHKブックス)があるが、本書の方が断然よみやすい。ただし、単純な情報量ならば宮家の著作の方が勝る。
山は動物だ。とりわけ蛇でありオロチだ。あるいは神様の降臨してくる場所であり、もっといえば神様そのものである。そこには私たちの先祖や死者の記憶が宿り、そこで修行をする山伏たちはとてつもない霊力をみにまとう。死の気配がただよう空間であるとともに、そこにかかわる人の〈いのち〉を新しくしてくれる時間もまた提供してくれる。だから日本人の、それは最も大切な自然の隆起なのである。
このように、山は畏怖されるべきものである、が、しかし、とても身近な存在でもある。日本の宗教らしい。この点を著者は強調する。チョモランマとかでは、ただ圧倒されっぱなしで親近感がわいてこない。なにか「超越」してしまう。おだやかでない。できるだけ具体的で実感のわいてくる相手に対して信仰心を高めていく。それが私たちのやり方だ。

日本人と山との深いつながり ★★☆☆☆
日本人が山に対していだいてきた強い思いを、日本に修験道や仏教が広まる前にさかのぼって考察する。著者は山岳信仰のルーツが山民の宗教的儀礼にあったと考えている。日本人が山の霊力をどのように見て、それにどのように接してきたか、時代に沿った変遷を探るとともに、全国に広がる山岳霊場の重要なものが紹介され、その部分は観光案内ともなっている。なお、修験道が「日本独特」であることが強調されているが、それが葛洪『抱朴子』に代表される神仙思想をコピーしていたこと、あるいは中国でも多くの道士や僧が山で修行していたことなどを考えると、大陸の影響を過小評価しすぎているような気がした。