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老師と少年 (新潮文庫)

価格: ¥367
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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”説教” ゴータマ・シッダールタ(R) ★★★★★
悩みをかかえた少年と老師の夜毎の会話によって物語が進行します。

少年の悩みとは、なぜ生きるのか、自分とはなんなのか。
誰もが一度は考えたことがあるこの問いに対する老師の言葉は難解な様でいて、よく考えれば当たり前のことでもあったりするのですが、私が思うに少年と老師の関係は、色々と悩んでいる少年とその相手をしてくれるやさしいおじいさんなんだと思います。
二人を取り巻く情景はなんだかやさしげな雰囲気に包まれていて安心を感じさせてくれ、老師の世話をする少女の存在もまた読み手にとって癒しを与えてくれます。

なにか悩みを抱えている方はこの本を読んでみると良いかもしれません。一時的にでも癒しを与えてくれるかもしれませんし、もしかすると転換の為のヒントとなるかもしれません。あるいはくだらないことが書いてあるだけだと思うかもしれませんが、私は読む価値がある本だと思いました。
禅僧の作品 ★★★★★
神と虚無と道の人の3つの話があります。

「人間とは裂けたもの」という表現は、現代のものです。
すなわちこの話は文学、に値することになります。

いまカウンセラーもケースワーカーも不用意には相手のいうことを否定しません。
まず相手のコトバをうけいれるところから始めます。

否定すべきことを否定する振る舞いは、ヒトが老「師」として相手に対して責任をもった立場に立つからこそです。

そんな理想的なことがあればよいなあ、そう言ってくれるヒトがほしいなあ、と思う読者もいるでしょう。

すなわちこの話は文学、ではないかもしれません。
美しい詩 ★★★★★
どれだけ新書を読んで知識を蓄えても、
どれだけ精緻な哲学書を読んでみても、
時にただ一編の詩がそれ以上の真理を感じさせてくれることがある。
私にとって本書はまさにそれでした。

もちろん本書が詩集であるというわけではなく、
むしろ難解なテーマを直接的に語っている。


第一夜で老師が語る
「なぜと問うてはいけない。理由を求めてはいけない。理由はないのだ。
これは決断なのだ。友よ、君は自ら死を選んではいけない」
という言葉に、思わずはっとさせられる。
そうだ、まさに私もその真理が聞きたかったのだ。
ああ、よかった.....

そう思った次の瞬間には、
しかしそれはやはり真理ではないのだ。と思わずにはいられない。


誤解を恐れずに言うならば、
本書で得るものはなにもない。
得ようと彷徨う人のための道になる本である。
???
はて?彷徨っている人とは誰のことぞや。
害のある書物? ★☆☆☆☆
各夜にタイトルをつけるとしたら、前夜「ぼくが死ぬとはどういうことか」 第一夜「生と死の選択」 第二夜「ぼくはだれですか」 第三夜「人間とは何ですか」 第四夜「ある聖者を訪問 第五夜「ある隠者を訪問」 第六夜「道の人の教えー欲望に対する答え(自分とは何か、自分は何故生きるのかの問いに対する答え)を捨てろ 第七夜「断念せよー友よ耐えるのだー」 後夜「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだー生きる意味より死なない工夫だ」という感じでしょうか。多くの人たちはノイローゼにならないためにこういう問いは避けているのが普通。
 私自身は昔から「本当にそれでよいのか、正しいのか」と対話的に問い続けることに意味があると考えてきたが最近そういう姿勢に疲れてきている。確固とした不動の答えが欲しい。奇をてらったニヒルな書物は社会に害があるとしか思えない。
 それにしても執拗に「私=自分」とか「欲望」とかを排除しようとする典型的な仏教的教えが背景となっているのには嫌気がさす。川をみている「私」は他人が川を見ている際の「私」と同じである(99頁)。本当? 「私」と「他人」は同じなの? 「私」はたった一つ。この一つしかないものが無意味であると思うことには耐えられない(110頁)。断念して耐えろ???「私が私であること」が無意味? 世界には「私」が無限に存在する。そのたった一つがこの「私」なら、大切な意味があるのではないの?偶然なの。
 こういう虚無思想からは自殺を否定する結論は出ないはず。それにもかかわらず。生きるべきではないから、生きることを選択することに意味があると主張?(20頁)言っていることがメチャクチャ。「生きる意味より死なない工夫」?アキバで毎日AKB48に熱狂している人たちのことが何故が心に浮かんできた。南氏と対決したいと思う。
ぜんぶ解かったなんて言えないけれど。 ★★★★★
「わたしとは誰なのか」「生きるとは何なのか」を老師に問う少年。
読者はいつのまにか、
「生きている苦しみ」に向き合う少年に自分を重ね合わせ、
老師の苦闘に磨かれた一言一句に耳をすます。
澄明な夜が二人の対話を包みこみ、
ページが進むにつれて少年の苦悩はいよいよ美しく、
こたえる老師の言葉はますます魅惑を深める。

だが、ラストまで「たった1つの答え」は得られない。
あるいは、答えが得られないことが答えなのか。

『生きる意味より死なない工夫だ(本文より抜粋)』

老師が去ったあとの夜、静かに残されたこの言葉。
からかわれているようで、まったくもってその通りで。
わたしは無言になって空(くう)をにらむ。
苦悩しながら読み続けた最後の最後で、
裸足のまま人生の荒野にポーンと放り出された気分だ。
『大切なのは答えではなく、
 答えがわからなくてもやっていけること…(本文より抜粋)』

さらに問いたくても、老師はすでに姿を消しているから、
小説の最後で少年は笑うしかない、ちょっと苦々しい気持ちで。
生きる意味より死なない工夫。
わたしも、参ったな、という思いで本を閉じながら少し笑った。

そして読前よりも、自分の足元が
ほんの少しだけしっかりしたように感じるのだ。
「生きていく決意」みたいなものが、胸の中に小さい芽を出す。

書いてあることぜんぶが解かったなんて言えないけれど、
出会えてよかったと思える1冊。
解からないわたしなりに、きっと何度でも読みなおす。
人生のうちで一度でも、「わたしとは誰か」「生きるとは何か」を
自分の胸に問うたことのあるひとなら、
この真っ向勝負な1冊を大切に読めると思う。