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いきなりはじめる浄土真宗 (インターネット持仏堂 1)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 本願寺出版社
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浄土真宗について知りたいのに。。 ★★☆☆☆
私は浄土真宗とは何ぞや?と言うモチベーションで本書を購入
しましたが、その目的は達成されませんでした。
というのも、仏教にあまり詳しくない(?)内田氏と僧侶の釈氏
のメールのやり取りという体裁ですが、その内田氏の話が長い!
単に質問と言うのなら良いのですが、内田氏の考え・解釈がだらだらと
書かれていて浄土真宗の本と言うよりは半分以上は彼の人生哲学本と
言った要素が強いです。
釈氏の話は仏教関連の話で興味深く読めたので星二つ。
内田氏のファン以外にはお勧めできない気がしますね。
浄土真宗の考えは、楽しかったんだ! ★★★★★
自分の実家(父母とも)も、妻の実家(父母とも)浄土真宗でして、生まれたときからの教えですが、子供のころは、お寺さんのお勤めの後、お菓子や、ジュース目当てでお経を唱えてましたが、意味とか、教えとか、深く考えたことは一度もないし、親鸞聖人や、阿弥陀如来など、知る由もありませんでした。
今年の3月に、父と祖父が10日違いで他界し、葬儀のときにあげたお経を唱えたとき、子供のころ聞いてたことを思い出しました。いつも、お勤めの最後に、ご住職さんが、黒い箱を恭しく開けて中の本を読んでいたことを思い出しました。その読み方の独特の節回しがおもしろく、よく真似をしていましたが、それが蓮如の書いた「御文(五文章)」と知りました。中でも、「白骨の章」は子供心にも何となく意味はわかりましたが、40歳を半ば過ぎて改めて聞くと、涙がでてきました。「歎異抄」や「御文」の現代訳の本を買って読みましたが、スラスラ読めるのですが、その云わんとすることが理解できませんでした。そんな時出会った本です。言葉の意味、云わんとする考え方の根底にあるものが、何となくわかってきたような、錯覚がおきますが、また考えてしまうという、そういう本です。
真に知性的であるということは… ★★★★★
内田先生と実際の住職・釈先生の対談本。ほんものの「知性」とは「宗教性」に支えられてしか、ありえない。はぁ、これはどえらいことだ。合理性を武器に、宗教性を一枚一枚、時間をかけて削り取って、そこに現われたのが近現代世界ではなかったのか。それは「知性」をも同時に剥ぎ取って行く過程だったのか。言うことが並じゃない、内田先生は。
それにしても、自宅にお堂を建立し、そこに現役住職を呼び寄せて、宗教とは何かのお説法を聞くのかと思いきや、水を獲た魚のごとく宗教の本質を語り尽くす内田先生。お相手が釈先生だからだろう。楽しくて、楽しくて仕方がないのが手に取るように伝わってくる。釈先生も大変だったろう。おかげでとても刺激的な話が聴けました。ありがとうございます。
因果に法則なし ★★★★★
東西冷戦が終結し、「大きな物語」は完全に消滅したと言われた。そして人々は小さな物語に安易に飛びつく。「原因と結果の法則」などというものはその典型的な例である。
そして合成の誤謬ではないが(そうであると主張したいが)、小さな安易な物語が寄せ集められて、とんでもない大きな物語が甦るのである。
新自由主義の経済イデオロギーを背景とする「成果主義」「自己責任」「自己実現」、いずれもみなそうであり、本書に扱われている「因果」の解説はいずれも浅墓な物語への飛び付きを撃つ。「あらゆる因果律は暴力だ」と言うレヴィナスの言葉は、現代思想が語った最も深い言葉として我々の生活や人生に無関係ではないのだ。
本書は仏教入門としてはもちろん、倫理や道徳を問い、また教育を考えようとするものにとって誠に有用な書物だと思われる。
「配役が逆」な師弟関係が、なんとも面白い ★★★★☆
 これはいわゆる「問答」だ。内田樹(弟子)が宗教について問い、釈徹宗(師)がそれに答えるメール往復書簡である。ところが、この2人のやり取り、内田の方が年長だし、明らかに一枚上手なのである。釈自身「この人のほうが私より真宗の僧侶に向いている!」と書いている。この、一般的に考えると「配役が逆」な師弟関係が、なんとも読んでいて面白いのである。内田はラカンの「師は、弟子が答えを見出す正にその時に答えを与える」という言葉に対して2つの解釈を提示する。1つは「答えを見出すのは弟子ひとりであり、弟子は自分が独力で見出した答えを、師のうちに事後的に読み込むのだ」という解釈。弟子=内田、釈=師と考えた場合、本書は一見、まさにそんな風に見える。もう1つは、「弟子が答えを見出すまさにその時に、師もまたその同じ答えを告げるために口を開く」という解釈で、内田はこの解釈を推す。読み進めるうちに、確かに本書の師弟関係も後者なんじゃないか、と思えてくるのだ。内田の、相手が若いからって、あるいは師だからって手加減しない誠実さ、それを正面から真剣に受けて精一杯返す、釈のすがすがしさ、大器の片鱗...
 もちろん、中身も面白い。ラカン、レヴィナスといった西洋現代思想と東洋仏教思想の整合性ってアプローチで、門外漢にも仏教の輪郭がうっすらと見えてくる仕組みだ。上手な内田・現代思想を、釈・仏教思想がどう受けとめるか、って視点で読んでるうちに、判官びいき的に、仏教への親しみも沸いてくる。続編「はじめたばかりの浄土真宗」も是非読んでみたい。