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無思想の発見 (ちくま新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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養老先生は現代版漱石ですな。 ★★★★★
漱石が現代に生きていたら養老先生と同じことを言うんではないか、そう直感的に感じた。直感的であるから何の根拠もない。それでも良いではないか。だってモノローグなんだから。養老先生も漱石も結局自分で書きはしたが、「これはモノローグですから気にせんでください。」と一言いってさようならでしょう。あるいは、「書くこと」=「排泄行為」かも知れん。排泄行為は誰のためでもない、ただ自分のためのみにする行為である。あるいは、自己に内在するエントロピーの問題かも知れん。世界の無秩序化を見ていて、自分の中の無秩序性(イライラ感)が増大しすぎて爆発してしまった。「もう我慢できん!」と思いながら書いている。だから、養老先生は、「私が書いたことに対して違うと思うところがあれば墨で黒く塗りつぶしちゃってください」と言っている。漱石は則天去私と言った。つまり、「あなた方の意識の中に私(養老先生や漱石)はいないので無視してください」だろう。養老先生は決して人を名指しで批判しない。NHKや原理主義者、アメリカや日本政府などと言ったシステムを作り出す組織を批判する。養老先生を名指しで批判する者は、だから結局先生の言わんとしていることが理解できない、つまり、バカの壁を持っている人間なんだろうよ。提案のない批判は誰でもできる。そのことを踏まえて人を批判するのが「礼儀」であり、「常識」であろう。先生は、ただそのことを言おうとしていろんな言い方でお話ししてくださっているだけなんだ。
脳よりも筋肉。 ★★★★★
 久々に再読した。
 日本には思想がないとよくいわれるが、「思想を持たない」という「思想」があると仮定すれば、日本人の行動様式(とくに明治維新や終戦後の変わり身の早さなど)がよく理解できる。思想を育む最小単位は西欧においては自我だが、日本では伝統的に個人よりも「家」や「世間」を重んじる価値観があり、いわゆる近代的自我が芽吹く基盤がない。したがって、近代的自我を基盤とする西欧流の「思想」も「宗教」もついぞ日本には根付くことがなかったが、しかし「家」や「世間」を基盤とした思想、宗教は1000年以上前から立派に存在している、という主張である。
 他にも「世間」とは何か (講談社現代新書)や日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)など、同様の視点からの考察は多いが、養老氏の視点は、やはり解剖学者としての身体性の重視が特徴的である。

 「思想というものがない」社会で「世間という現実」が危うくなれば、
 すべては崩壊に近づくしかない。p103

昨今のネット社会の危うさも、ネット上では肉を伴わない純粋な「考えたこと」だけが増幅される傾向があるからだろう。脳よりも筋肉、が養老氏の思想である。筆者は健全だと思う。
難解ではありません ★★★★★
後書きにもありますが、この本は養老先生が世間が危うくなっていることを心配している本です。前半までの一見ややこしそうな書き方は、世間に埋没している無思想を対象化するために、無思想の感覚的実感からはじめて、それに論理的な形を与えようとしているためにもがいているからだと思われます。後半はいつもの養老節でするすると読みこなせます。特にサラリーマンばかり多くなった結果、日本人が仕事そのものに目を向けなくなったことに疑念を呈しておられる件には、大変共感を覚えました。要は感覚的実感の世界はやっぱり大切で、その感覚を大切にしているのが本来の日本の世間というもので、そういう世間なら少なくとも欧米的な思想は不要なのだけんども、近頃の世間はちと狂っているねえというお話です。
尚、私は養老先生の考え方を贔屓していますので、先生の本であれば出来不出来に関わらず、★満点となります。
日本にはちょっと珍しい、ポレミックで真摯な「哲学入門」!逃げないで考えることの大切さ! ★★★★☆
本書、最近の新書としては異例なほど挑発的に感じられるのは、普通私たちが常識として当たり前のように前提としていることを一旦取り外し、真摯に、ねばり強く根本に遡って吟味することを要求しているためである。自分が当然のように前提としていながら、それに気がつかない無自覚さを、本書は執拗につつきだし、疑問符を突きつける。自分の持っている世界観の基盤を掘り崩す作業、そう、これは本来の意味での「哲学」の課題である。知識や教養ではなく、哲学史的な知識や、科学的な知見でもなく、ましてや思考の遊技や思いつきのような無害なものなどではなく、自分の生き方を決めるときに一番自分自身がよりどころとしている様々な価値観、世界観、信念、思いこみ、こうしたものこそが、著者のいう「思想」の問題なのである。だから本書は、当然宗教の問題にも踏み込んでいく。そして本書は、その姿勢のラジカルさ故に、読み手を挑発するかのように見えるのである。その意味で本書は、ソクラテスに倣っている、とも言えるであろう。優れた問題提起の書であり、優れた哲学入門である。
「無思想」の概念を視点を変えることで、説明した本 ★★★★★
思想と現実について、私の考えている(一般的な日本人の考えている)線引きに別の考え方があるというのが、新鮮だった。
また、感覚が違いにつながっていて、概念が同じにつながるものだっていうことも、読んで納得だった。
これを知ったことで、別の視点でものを見ることに役立ちそうな気がする。

思想について、論理的に表現しているはずが、いつのまにか、禅の考え方にいきついたり。
結局は論理は、すべてを語ることはできなくて、宗教や、思想など、ものの価値観に依拠することになると改めて感じた。