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早朝坐禅―凛とした生活のすすめ (祥伝社新書)

価格: ¥799
カテゴリ: 新書
ブランド: 祥伝社
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方法論よし、面白いことも書いているが ★★★★☆
1.内容
現代日本社会は、「うつ」という「もののけ」に取り付かれている社会といえよう。このような社会で「うつ」にならないようにするには、疲れたときに「ひとり」になることである。このための方法論として、早朝坐禅(勝手禅でよい。内容は本書をお読みください)と散歩を取り上げる。また、現代日本人の欠点である口呼吸や、軟弱な言葉の問題、人と比較している問題をも取り上げている。また、1日の時間それぞれのステージや役割を受け容れることも提唱している。最後には、「生」のみならず「死」を意識すべきことを主張している。
2.評価
表題の早朝坐禅は無理があまりないし、その他の方法論もなかなかよい。個人的には、比叡山の千日回峯のことなど、興味深い記述が多かった。ただ、(1)「うつ」ならば病院へ行ったほうがいいなど、著者が否定する西洋合理主義的な方法のほうがリスクが小さいと思われること、(2)教育が宗教を排除するのには一理あること(誰もが仏教信者ではないだろうに)、など、著者の見解に疑問のあるところがあるので、星1つ減らし、星4つ。
気軽にできそうな感じ、、、 ★★★★★

坐禅をするのには、何か特別な構えのようなが必要なように感じていましたが、
コレを読んでみて、けっこう手軽にできるものなんだ、、、と思いました。
新書で、わりと読みやすかったです。

この作者の方のように、午前3時くらいに自然と目が醒めるというのは無理だったけれど、
たまに、朝起きてから数分間、お布団の上で坐禅を組んでみるようになりました。
頭の中に湧いてくる雑念をそのまま流れに任せて感じ、そのまま受け入れる。
嫌な事でもいい事でも。想像のなかで、いろいろなことが出来るでしょう。
自分を見つめる良い機会になりました。
その前に飲み物を用意してからゆっくり坐ってもいいし、日常生活に取り入れ易いような形で書いてあります。
「身体作法」、「お散歩の禅」というのも気軽に取り入れ易そうです。
「自殺」や、「うつ」についてのコラムも参考になります。
この筆者の随筆を読みたい方向けの本 ★☆☆☆☆
 私は、早朝坐禅の効用について書かれていると考えて購入したので、あてがはずれた。というわけで、
私には★一つ。筆者曰く、「私自身、さほど本格的に坐禅の修行をしたことがあるわけではない。」「一度
だけ、永平寺で坐禅の手ほどきを受けたことがある。」(以上、本書46頁)とのことだ。
 この筆者のファンで、筆者が語る「なぜ、日本人は病んでしまったのか」(序章の副題)、「散歩の効用」
(第二章のタイトル)などを楽しく読める方にはお勧めなのだろう。
とにかくやってみよう ★★★★☆
 著者の文章展開は決して論理的とは言えない。ただ、現代社会の抱える矛盾点の解決策を坐禅に求めるというのは感覚的にはしっくりくる。

 静寂、自然、ひとり、身体・・・・、この辺りに現代の病巣を解決するカギがあると考えているようだ。

 うん?著者はこのような小理屈をこねようとしているのではないだろう。
 「何はともあれ、五分だけでも坐禅をしてみませんか。」著者のメッセージはこれに尽きると思う。
日常と宗教のはざまを、ひとり歩く。 ★★★★★
宗教学の専門家である著者は、30才頃に体調不良と学会のバッシングでうつになったそうです。著者は、自分を含め現代社会にあふれるうつの現象を分析し、○過去に人生モデルが見つけられない程の高年齢化。○宗教的な感覚が欠如した口先だけの言葉の群れの氾濫。それが、世の中に不安をもたらすモノノケとなり、うつを蔓延させていると考えています。回復には、ひとりで静かな中で早朝坐禅をし、モノノケから自由になり、歩く・泣く・眠るという3原則が大事とのことです。

宗教は非日常です。教会でもお寺でも、日常の気持ちから離れ、心を改めて参拝します。一方、俗人の日常は、非宗教です。宗教者とは違い、生活に宗教性は薄く、実生活を営んでいきます。通常の日常意識では区分けされます。しかし著者には、この場は混ざり合っていて縦横に歩ける無境界地帯のようです。早朝坐禅は、無念無想のために坐るのではなく、むしろ雑念妄想を吐き出させ、それ以後の1日をスッキリ生活させる為の手段。またチベットの寺院の真似をして、呼吸さえ密やかにする坐禅中に、茶を喫する。などその自由闊達な動きは著者独自のものです。

また日本人のこころを失い迷走している今の世の風潮を、克服するには、各人が明治以来の歴史を再構成すること。宗教性の回復のための戦術として、早朝坐禅を初めとした身体作法がだいじとのことです。旧来の保守的日本への回帰と誤解されそうです。そうではなく、むしろ明治以来輸入されてきた外国の概念を、日本の国土に土着化する試みとも取れそうです。これも著者の特徴のようです。

最後に死に関して、「共死」とか「断食往生」の話がありました。死に方を自分で決定した西行の「断食往生」は何故か魅力的に思えます。意思の非力さから考えて、実行することは不可能と思うよりも、不思議な親近感を覚えました。