二回は読みたい!!
★★★★★
とてもいい本です
買う前に自分は、ポルトガル語バージョンを読みました。
キリスチャン向けですが、お勧めです♪
典型的日本人のあなたにこそ読んで欲しいあなたの価値観を正しく変える本
★★★★★
この本は、人生の真の目的、あなたが今ここに生きている意味について書かれた本です。先入観や自分の考えを挟まずに、まずは素直な気持ちで一読することをお勧めします。おそらく、まずあなたは「そんな馬鹿な」「私には関係ない」と拒絶することでしょう。しかし、素直に受け入れるならば、あなたの価値観・パラダイムが、正しい・あるべき形へ劇的に変化することでしょう。この本に書かれていることは、他の本では絶対に知ることが出来ない根本的なことが書かれています。今までの多くのベストセラーの自己啓発の本の著者達(『金持ち父さん』ロバート・キヨサキ、『7つの習慣』スティーブン・コヴィー、『思考は現実化する』ナポレオン・ヒル、『人を動かす』アンドリュー・カーネギー、ジェームズ・アレン等々)は、直接書きはしていませんが、この本に書かれている真理を意識するしないに関わらず知っていて、それに基づいて書いているのです。ですから、この本はある意味、自己啓発書のメタ・ブック(元になる価値観・文化を提供している本)ともいえます。ぶっちゃけて言えば、今あげた自己啓発書の著者達は全員クリスチャンです。ただ一人の例外もなく、聖書と聖書に書かれている方を知っています。聖書を知っているだけでは駄目です。聖書に書かれている方を知らなければ意味がありません。日本人から、自己啓発の世界的ベストセラーがただの一冊も出ていないのはそのせいです。彼らは、父なる神を、ジーザスを知っている、日本人は、父なる神を、ジーザスを知らない。究極的に言えばその一言に尽きます。ですから、父なる神の愛を知らない日本人のあなたにこそ、この本をお勧めします。
★ブクログ/ナッツの本棚
http://booklog.jp/users/isaiah60tm/front/dm=&jm=&cate=151186
古典となる、よく出来た本なんでしょうが、バタ臭いので星4つ
★★★★☆
聖イグナチオの霊操を現代風にアレンジすると、こうなるのかも?
その中身をきわめて多くの方に受け入れられる本として提供してくださったのは、偉大ですね。
きっと、古典になる本でしょう。
でも、わたくし、ワードよりは一太郎派なので、
ちょっと、わかりにくい、というか、迷路に入ってわけがわからなくなって、
考えて、その書いてあることの位置を確かめて、とかしないと、
理解できない箇所がおおいです。
でも、大きな俯瞰が共通理解でできてる?アメリカ国内でなら、
きっと、サーキットを走るみたいに分かりやすいんでしょう。
わたくしには、向いてなかった。時々拾い読みはしますが。
ワードが好きな方とか、迷路を解くのが苦にならないならお勧めします。
で、説いている内容は、聖書に書いてあるそのとおりだと思います。
これを翻訳してくださった尾山晴仁様に
敬語をつけたうえで、新約聖書全体を翻訳しなおしていただきたいなあ、と
思うくらい、斬新な聖句の訳で。
でも、ま、聖イグナチオの霊操のほうが、中身は同じでも、
肌に合う人もいるでしょうねえ。
人生の目的は、ここに書かれているようなことでしょうか?と
今日、神様にお聞きしたら、
書いてあるとおりだ、と。
聖書に書いておいたとおりで、それは、イザヤから、3000年近くも、いや、これからも
変わることがない。変える必要も無い、変わらない、ということですね。
主の恵み・祝福がこれを読まれる方の上に豊かにありますように。
解りやすさを極限まで追及した信徒のためのキリスト教信仰入門
★★★★☆
内容は聖書そのものだが、これだけの内容を聖書を読んで理解するのは大変。「聖書を字面だけ読んで解ったつもりになっていないか」という問いにドッキリするクリスチャンは読むべき。しかし、このように教化精神を充満させ情報伝達の効率性を追及されると、聖書のスピリチュアルな面が消されてしまう(「電子レンジの祈り」等の説明は止めて欲しい)。聖書引用箇所は15の英語訳から説明に都合の良い訳を選んでおり、新改訳等と全く違う言葉で不安を覚える。内容的に懸念する点は重要な御言葉「隣人になりなさい(ルカ10章37節)」への言及が無いこと。米国でベストセラーとなっているのは「汝の敵を愛せよ」という米国人が無視しがちな御言葉にふれていないからでは。読後は聖書へ立ち返らないとまずい。辟易した人はヘンリー・ナウエンの著書を読むと良い、教化本ではなく「共感に導く」本だからだ。説明がしっかりした本なら内田和彦先生の本がおすすめ。
聖書をプラグマティズムで切り裂く?
★☆☆☆☆
いかにもアメリカ人らしく、聖書をプラグマティズムでバラバラに分解し
自分の主張どおりに、きれいに並べ替えて見せたような本。
確かにそういう理解もあるかもしれないが、
聖書はそんな単純な本ではないと思う。
こういった単純な割り切り方を聖書にも適用するのは
どうも好きになれない。