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歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書)

価格: ¥819
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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客観視点で分かりやすい ★★★★★
新約聖書のみならず、ユダヤ教の成立から、キリスト教がローマ帝国の国教になるまでを鳥瞰できる。
旧約、新約聖書からの引用箇所があったり、西洋史の知識が求められるが、適宜補足や図解を交え解説してあるので分かりやすかった。
立場が中立的であることと、喩えや論理の点でも優れており、興味本位や雑学として手にしても読み応えがあると思う。

ユダヤ教の律法主義にこだわらなかったイエスの活動が、没後に弟子や政治の思惑により新たな掟として生み出され、結果的に形を変えた律法といえる新約聖書に還元されたことは興味深い。
また、最終章での権威付けについての箇所。(聖書の)内容・中身とは別に、権威を付けたいという意思が働いて、権威は造られる。これは現代のブランディングに通ずるものがあると感じた。

全体的には、素朴な疑問や矛盾を感じる点を要所でフォローされており、読者の「なぜ」「もっと知りたい」に応える文章の構成がうまい。最後まで一気に読むことができた。
ズバッと明解 ★★★★★
わかりやすさにおいて群を抜いている。「新約聖書」が歴史上どのような位置にあり、またその構成はおおよそどのように把握しておいたらよいのか、爽快な見取り図を得ることが可能である。ユダヤ教からキリスト教が生まれ分離していく過程、そこでの「契約」のもつ意味、各福音書の形成と、精霊およびイエスの位置づけのなされ方の相違点、等々、たとえ話や図式を駆使して実に丁寧に解説してくれている。おそらく、専門家間の研究上はもっと込み入った議論が展開しているのだろうが、そうした重厚な細部はとりあえず脇に置き、このキリスト教の「権威」の核心をなす書物の成り立ちを知りたい人にはうってつけの好著であるといえるだろう。と同時に、この聖典がユダヤ教の律法にかわる「権威」として祀り上げられてきた歴史をかなり批判的に考察し、人間が神や精霊とともに行ういきいきとした宗教活動としてのキリスト教の原点に読者の注意を向けてみせる。入門書でありながら著者なりの神学的嗜好の提示ともなっており、とても面白く読めた。

聖書を理解しようか、という方にとっては、たぶん最も効率の良い本 ★★★★★
 キリスト教自体、日本では最初から相対化されていますし、今の欧米社会でも、そうなりつつあります。しかし、19世紀ぐらいまでの「普遍のヨーロッパ」をつくったバックグラウンドとして、その成り立ちを理解することは、まだ重要。しかも、日本の場合、相当な知識人でも、本書の185頁にも書かれていますが、ヨハネの「はじめに言葉ありき」でキリスト教全体が論じてしまったり、ほんど読まれていないのが実態。やはり、聖書とはいっても歴史の中で生まれた文書群なので、なぜ「書かれた」のかという問題も含めて、考えたいところ。

 そうしてじっくり見ていくと、たとえば4つの福音書が強調していることは、まったく違っていて、それを統一的に理解するというか、整合性のあるものとしてとらえるのは不可能だ、ということがわかります(マルコでは聖霊を与えられていない者は否定され、マタイのイエスは単なる新しい掟の伝達者であり、ヨハネはあまりにもイエス中心主義で書かれている)。しかし、いっぱい文書が混在していて、互いに矛盾したことが書かれているという「いい加減さ」というか緩さが、キリスト教を生き延びさせてきたし、戒律といいましょうか律法でガチガチに縛るのでなく人治主義を認めていたことが、国教としても「使える」と判断されたのでないか、というのが著者の言いたいことではないかと思います。

 著者はルカが専門ですが、実はルカが福音書と使徒行伝(ルカ福音書の続編といいますか、元は一緒)で描きたかったことは、洗礼者ヨハネ、イエスから始まって使徒たちへと聖霊が次々と与えられていく登場人物たちが、ある集団(聖霊を与えられていない一般の人々)を指導する、という構造ではないか、というんです。少なくとも、それが当たり前のように描かれている、という指摘は新鮮。