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私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~

価格: ¥1,470
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 徳間書店
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筆者はこれから先どう生きたらいいのか・・・ ★★★★☆
この本を読み終えて考えたのは、筆者はこれから先の
長い人生をどう生きたらいいのか、と言う事だ。

父、松本 智津夫が逮捕された時は6才で、
15才になるまで何も知らず生きて来たと言う。
小学校に行けば、やがて事件を知った同級生からいじめを受け
登校しなくなったり、後見人になった江川昭子氏との確執、
仕事に就けばやがて松本死刑囚の娘である事で解雇される、
21才の筆者の漂流中の人生が切ない。
初めて小学校で食べた給食が「美味しかった」と言う筆者が可愛い。

この本を読んで思い出したのは、東條英機の孫の話だ。
彼らもまた東條英機の孫と言う事で、小学生の時、教師や同級生から
凄惨なイジメを受けられたそうだから、どこか似ている。

筆者に何があればいいのか、誰が支えたらいいのか、考えさせられた。
未だに父親の呪縛から抜け出せない可哀想な四女 ★★★★☆
この本の内容に性的描写が含まれていることには正直驚いた。
こういった表現をせずには麻原の説明は出来ないのでしょうが、読んで気分のいいものではないが、こんな世界もあるんだという参考にはなった。
オウム真理教がカルトであるのは有名ですが、スピリチュアルの概念も同じであると述べている。
そこに危なさを感じてしました。
何か、オウム真理教がフリーメイソンに通じている内容が書かれているような気がしたのは自分だけでしょうか?

この松本聡香氏が、今も精神病を患い癒されることなく苦しみ続けているのは、彼女は加害者の家族であったというだけで、同じ被害者の一人でもあり、麻原の家族に生まれたことが彼女の人生を大きく狂わせたのは事実であり、私は同情してしまった。
今後も彼女は幸せになることなく、不幸な人生を送り、被害者への罪悪感に苦しまされるであろうことを思うと心が痛む。
読むのには覚悟がいる ★★☆☆☆
タイトルに惹かれなんとなく気になったので読んでみた。
しかし嫌悪感を抱く箇所があまりにも多いので途中で読むのをやめた。
セクシャルな内容が少なくなく、単純に、読んでいて非常に不愉快になった…。
セクシャルな内容があるため余計に、オウムの内部を知れば知るほど「狂気すぎる」としか思えなかった。
しかしそんな中にも「親子」というものを考えさせられるものがあった。
この本を読む意義はそこにあるのではないかと思った。

私はこの四女と同じ年である。同じ21年間だが彼女はこんなにも壮絶なものだったのかと、ただただ驚愕した。
私がまだまだ未熟である証拠だ…。
彼女には何の罪もないはずなのに ★★★★☆
著者は、地下鉄サリン事件で無差別殺人を行ったオウム真理教の教祖、麻原彰晃の四女である。地下鉄サリン事件当時、5歳であり、両親が逮捕された後も教団の中で育てられ、15歳になるまで事件のことを何も知らなかったという。

本書は、著者の立場から、事件前後の教団内部の様子、麻原彰晃の父親としての姿、そして事件後も教団の教えをかたくなに守っている信者たちの姿を描いている。

各々20ページ前後の10章からなっている。著者が幼かったこと、世間から隔離されて育てられたため一般的な常識を持ち合わせていなかったこと、また人としての情緒に欠けると思われる部分もあり、ノンフィクションのレポとしては、甚だ物足りないできではあるが、文面から著者の幼い悲鳴が聞こえてくるようで、読者を暗澹たる気持ちにさせる。

小さい頃から過酷な修行を強いられ、両親から十分な愛情を受けず、また世間の常識にも触れずに育ったにもかかわらず、著者は教団のあり方に対する疑問を持ち続け得た。しかし、両親や教団幹部、オームの教えを否定しきれないような記述もあり、洗脳からの脱却の難しさを感じさせる。

本来なら、両親が逮捕された当時に、彼女は保護されるべきであったのではないか。新しい戸籍を与えられ、誰も彼女を知る人のいない場所で、平穏に暮らす権利があったのではないか。実際に殺人を犯した未成年者の場合ですら、成人して、その罪を問われることはないのに、何の罪もない著者が非難され続けることの矛盾。

けれども、殺された被害者のこと、その何倍もの数の重症を負った被害者のこと、そのまた何倍もの数の軽症を負った被害者のこと、そして、その被害者たちのまわりで未だに事件の後遺症に苦しむ家族や友人のことを思うと、著者自身も被害者のひとりのはずなのに、非難の目を向けてしまう自分がいることに苦しくなる。
壮絶な思春期を表現する、筆者の力 ★★★★☆
たぶん、賛否両論ある本だと思う。

特に、筆者が江川紹子さんに後見人を頼み、さらに結果的に江川さんの元を離れて放浪するエピソードや、それに対してきちんと総括し切れていないところなどは、読んでいてちょっといらっとする。

有罪判決を受けた教団関係者を「さん」付けで呼んだりするのも、「教団から離れた」というわりに、ホントなのかと感じさせるところもある。

それでも、筆者はまだ二十歳そこそこで、しかも生まれてからずっと教団の中でまともな親子関係もなく育ち、偏狭な教義に縛られた生活をして、世間から温かい目で見られることもほぼ皆無、という20年の人生を考えると、むしろ、驚異的に自分を冷静に見てられることに、驚きさえ覚える。

それと同時に、僕にとってオウムは「同時代のできごと」なのに、すでに若い世代の多くが「歴史上のできごと」=過去のものとして感じる時間が過ぎたのだと言うことに、改めて気がつく。オウムの後を引き継いだアレフや光の輪が新しい「信者」を勧誘し、獲得していることを考えると、改めて「次のオウムをどう防ぐか」を考えるのが、おとなの使命だと感じた次第。アレフがオウム真理教だと知らずに、アレフの勧誘を受けている若い世代も多いのだろう。そしてオウムが何をしたのかも知らない20代も多い。僕の親の世代が「戦争体験を語り継ぐ」ことを努力したように、僕らは「オウム体験」を語り継がなければならないのだろうか。

そう考えると、20年の人生をもとにオウム体験を語った筆者の努力にこそ、大きな評価を与えたい。と同時に、ぜひ書き続け、オウムとは何かを世に出してほしい。そのためにも、この本が売れないとね。と思う。(by paco@<おとなの社会科>)