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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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題名と内容がズレてませんか。 ★★☆☆☆
 このふしぎな書名、日本人の間で、1965年から急にキツネにだまされたという人がいなくなったということです。

 この本もてっきり、日本人の1965を境目とした精神世界の変容が描かれるのかと思いきや、西洋哲学用語がきらびやかに並ぶだけ。

 結局、何がどうかわったのか、なぜ自然に帰ることを貴重としたらきつねにだまされることができるのかいまいちよくわかりませんでした。

 結局のところ、科学知識、原因と結果を考えない人々は、理解不可能なときはキツネのせいにしたとでもいうことなのでしょうが、そこのキツネのせいにできたところをもっと具体的な事例などをあげてほしかったなと。

 読み方が足りないのかも知れないけど、この本も本の題名と内容にズレが大きいと思います。

 著者の専門分野に売れそうな題名をつけようとする出版社のミスマッチ作品。
豊かさと引き換えに失ったもの ★★★★☆
当然、キツネには化けるなどして人間をだます

能力があるのか、無いのかといった話ではなく

日本人は1965年以前は、キツネに騙されていた

という「事実」に着目した内容。

どんどん近代化され豊かになっていく日本の世の中と

逆行するように、地方の山村での暮らしを積み重ねていく

著者が、はじめの頃は、ただの緑の濃い山としてしか

見えていなかった山に、季節の移り変わりとともに

変化していく山の中での生物の営みを感知するようになる。

キツネに騙されないという賢さと引き換えに失った

身体感覚、自然との一体感などを日本人は取り戻せる

だろうか?
近代化とは人間の意識そのものを変えることでもある ★★★★★
1965年頃、高度経済成長期を迎えたあたりから、「キツネに騙された」という話がほとんど聞かれなくなってしまった、という点から、日本という国の歴史を振り返りつつ、日本人の意識の変容について考察を進めた内容となっている。

着眼点が「キツネ」と言う点も面白いが、本書の主張の面白い点は、「キツネ」と言う自然が経済成長の波にもまれて変容したのか、それとも自然の中で暮らしてきた人間の考え方が変化したのか、という両面からアプローチを進めるところにある。詳しく見ていくにつれ、よく言われるような「経済成長による自然の減少が関わっているに違いない」「自然から疎遠になり都市という新たな環境に推移していったのが原因だ」という構造だけでは捉えられない変化があると筆者は指摘する。次々と考察を進めていく中で、ヘーゲルの歴史哲学をベースに、「我」の変容と、「知性」への気づきが生じてきたと展開する主張は、ありきたりの歴史学や文化史では触れることのできない新鮮な考え方を読者に与えてくれる。

本文は考察内容に比べ、きわめて平易に書かれており、著者自身が考え抜いた上で出された一つの考察、と言うのが良くわかる。扱っている内容は倫理哲学に近いが、決して難しくない。むしろスッと素直に受け入れられる主張になっている。オススメ。
自然と人間の共生としての世界 ★★★★★
後半部に書かれているように、権力者による「歴史」だけが歴史ではなく、民衆の「歴史」と相俟ったものとして、歴史はあるべきだと言う主張をするために書かれた本のようです。

その例として書かれた「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」と言う、自然と人間が一体化された世界が、1965年前後に消えてしまったのだと言う文章は、非常に魅力的で力があります。
確かに、その時代の村や町には、そうしたところが多くあり、祭り一つとっても全員の人々が集まったのではないかと思われるほど盛り上がっていました。
そこには、「自然」を「神」とし、自然を有用に改良した「ご先祖様」を「神」としたところに、その村や町自身が一つの有機体のように機能していたのだと言われると、なるほどと頷かざるを得ません。
子どもの頃の「自然」との一体感は、そうしたものだったのでしょう。あの頃の様々な行事もそうでしょう。そして、人々の助け合いも。

それにしても、1965年以降の「自然」の軽視は、今になって環境問題を起こしています。
当時に戻ることは出来ないとしても、その頃のことを思い出しながら環境問題に対処する必要があるのではということを痛感しました。
見えない歴史を意識する ★★★☆☆
1965年あたりから、キツネにだまされるという話がなくなってきた、
という著者の問題提起から語られる日本の歴史の深層。

「キツネにだまされる話がなくなった」理由は、それほど意外ではないのだが、
「キツネにだまされる話」に代表されるような霊性や生命性にもとづいた歴史が
見えない歴史として葬られようとしている現代への警鐘は重要だと思った。

いま一般にいわれる国家史や進歩史としての歴史だけが、
歴史として正当なものとしてとらえられていることは、
確かに疑問である。