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サッカーの詩学と政治学

価格: ¥2,100
カテゴリ: 単行本
ブランド: 人文書院
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カルチュラル・スタディーズ、新しいステージへ ★★★★★
サッカーを含めスポーツは政治的に中立ではありえない。
この本はサッカーを愛するすべてのひとに、否応なしに
峻厳なこの事実をつきつけている。
論考を寄せている論者たちの主張に賛成するにせよ
反対するにせよ、本書はサッカーをとりまく現状について
議論を始める重要なきっかけを与えてくれている。
寄稿者のひとりであるレス・バックは本書中でこう言っている。
「…私たちは、深刻な文化的対象としてスポーツを学問上の
トップリストに登録しなければならない。なぜならスポーツの
本当の重要性は、帰属や集合的アイデンティティ、排除を
めぐって引かれるラインを焦点化するその力にあるからだ。」
この本のトピックのひとつにサッカーと人種主義があるが、
日本における従来のカルチュラル・スタディーズ研究には
人種主義への視点がかなり希薄であることを考えると、
本書は次世代のカルチュラル・スタディーズ研究の可能性
を示してくれているように思う。
言葉では語れない空間の中で ★★★★★
サッカーのサポーターは、サッカーの試合を見ることによって少なからず夢を見ている。我々が応援するチームのプレースタイルはこのようにある“べき”であり、このようなユニフォームを纏った選手がいる“べき”であり、挙句の果てに、我々は目の前にいるこのチームの一員と認められる“べき”であるという幻想の元に生命を費やす。

この言説が全くの絵空事にすぎないことは、この一冊が試みている途方もないチャレンジに集約される。サッカーと少なからず距離を置いて、そのサッカーを客観的に考察する。この想像すらできない試みを実効した編著者には手放しの賞賛を送ろう。なぜならば、このような研究を行っている人間こそが、最も、サッカーという、たわいもないボールの奪い合いを愛しているからであり、そのたわいもない行為に対する接し方を理解しているからである。

しかしながら敢えて言おう!サッカーとは、あなた達が避けるべき、その対象に対する主観的な考察を、意味の無い、無価値なものとして受け入れることから始まるのである。あなた達が言わんとしていることなどサッカーの試合に陶酔したサポーターの前では、全く無視されるはずのものである。1964年、フランスカップを手にしたMekhloufiへのフランス大統領ドゥ・ゴールの賞賛、1998年、“サン・ドゥニ”でのジダンの2ゴール、2005年11月8日のリリアン・テュラムのマルチニクでの発言は、客観的になど判断されるはずも無い。

しかし、だからこそサッカーはおもしろい。学問的?客観的?サッカーを愛するサポーターが集うスタジアムの中でそんなことが言えるのか?ここはそんな単語を最も嫌うサッカー中毒者達の巣窟であることを“あなた”なら知っているはずだ。
サッカー(の文化)についてもっと語りたい方、考えたい方に。 ★★★★★

 サッカーを見ていると、そこにはいつも見入ってしまうような場面や美しさ(詩的なもの)が
付きまっています。言葉では言い表せない美技。圧倒されるほどのスタジアムの熱狂。そして、
TV観戦を通じても、自分がそこに参加したくなるようなる一体感。これらは一見、言葉を表すこ
とが不可能に見えるし、そのために、「詩的なもの」を政治的に見ることが避けられたり、いざ
「政治」を強調すると、外野が余計な視点をサッカーに持ち込んでいるように見られたり、サッ
カーを利用していると見られたりすることが多いように思います。

 しかし、それでもなお、本書の著者たちは「詩的=政治的」という実態を鮮やかに描き出そう
とします。著者たちは「詩的なもの」が繰り返されるプロセスを丁寧に観察し、あるいは「詩的
なもの」が生み出され、繰り返される実践の中に自らおもむいて、観戦する側が「詩的なもの」
に身を投じて、それと一体化するプロセスを明らかにしていきます。

 「詩的なもの」は圧倒的な力で見る者を引き付け、その感覚と一体化するよう迫ります。そこ
には一体化する者/しない者との境界を定めるの作業も含まれています。対して著者たちは、そ
うした一体感が生み出される現場に身を置き、一体感が作り出されていく一連の流れを変え、境
界をずらしてみせます。そこには、見る側の人間がサッカーへと参入し、「詩的なもの」を模倣
しながらも、そこにあるズレや言い含みを言葉にできるような、サッカーを語るスペースが出来
あがっているように思います。サッカーの新たな豊かさ、それが感じ取れる1冊です。

ただ惜しむらくは、従来のサッカー批評やスポーツジャーナリズム(反日/親日の二項対立のぬ
るま湯にどっぷりつかっているような)が、この本の成果を無視し続けていること、フォロワー
が現れないことです。これはこの本のみならず、サッカー批評やスポーツジャーナリズムにとっ
て極めて不幸なことです。遅れてやってきたカルスタの真髄に、もう少し期待しても良いと思い
ます。