「非対称」に浸る
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「右手は左手よりすぐれているのか」「右と左の起源」「左利きの苦悩」などといった目次を見た瞬間に、左利きの私は、この本を迷わず手に取った。しかしよくまあ、歴史、文化、思想、科学と分野をまたいで、ここまで「右」「左」に関する資料を集めてまとめたものだと感心した。社会的宗教的に「右」「左」を論じながら(「左」の歴史的異端視に愕然とするが)、遺伝子、脳、前後左右頂底と分かれる前の生物の起源にまで気を配る、包括的な視野の広さは、まさに驚きの連続で惹きつけられること間違いなしだ。
「左利きはなぜ少ないのか」「親子と利き手の関係はあるのか」「大人になっても左右を一瞬に識別するとき、困難を感じる」「なぜ心臓は左にあるのか」といったことに関心がある人は、是非本書で左右という「非対称」の果てしない深みに浸っていただきたい。
ミクロな分子の非対称とマクロな生物の非対称
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Amazon で大貫昌子訳を検索したら引っかかって購入。タイトルから『自然界における右と左』のような内容を予想していたが、いい意味で裏切られた。ただ、原著のタイトル“Right hand, left hand”の方が人間の非対称が話題だと分かりやすいし、すこしミスリーディングなことは否めない。
本書の焦点は、「人間の左右非対称がどのように生ずるか」である。人間は外見的には本質的には左右対称だが、内臓は心臓や肝臓の位置に代表できるようにかなり非対称である。脳の機能の非対称も近年話題になっている。外見的な対称性も、利き手、利き目、利き足など、実は非対称を内包している。この非対称がどのようにできるかを説明するのはそう簡単ではない。内臓の逆位はしばしば見いだされているが(私の大学の先輩にも一人いた)、もちろん生理機能に何の困難もないにも関わらず、かなり稀である。この統計的な非対称(半々なら話は簡単)が、極めて対称性の高い受精卵から、どのように生ずるかは考えてみれば不思議な話なのだ。この問題は実は、右と左をどう定義するか、通信のみで左右を知らせる方法はあるか、という、論理学+物理学の大問題に結びつく。直感的には、生物が使うアミノ酸がL型ばかりで、糖がD型ばかりである、という事実と結びつくように思われるが、現象のスケールの違いは大きく、詳細はなかなか分からない。利き手の問題も習慣の問題ばかりではなさそうだ。
このように、人体の非対称は面白い問題満載で、本書ではそれが次々に取り上げられて解説されていて、飽きさせない。完全とは言えないまでも、体勢の非対称の起源に迫る発生初期の非対称や、その非対称を生じさせない遺伝子多型と利き手や内臓逆位との関係など、博物学を越えた面白さもある。対立遺伝子 CD があって、DD では全員右利き、CD では25%が左利き、CCでは左右半々とすると、統計が理解できるという話は面白かった。
翻訳はさすがは大貫昌子。こなれていて読みやすい。用語的にも気になるところはほとんどなかった。内容も文章もお薦めである。
情報の海原。
★★★★☆
この世に溢れる非対称と対称とを対照させて論じる1冊。
古代より取り沙汰されて来ている左右の利き手などといった問題や、方向認知力の偏りの話、或いはキラリティ・パリティなどといった、文系が苦手とする局面にまで、広く[±対称]の特性に関わる話の集成。
とは言え、歴史的な論述を束ねた上で、無矛盾な推論を挙げるまでで終わる記述であり、依然として発展途上のネタであることも否めない。
文系にとっては、学術書としてではなく、読み物としてサクサク読むのが適切な読み方であろうか。
この博識を見よ!!
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左右についての随筆。この形式はブルーバックスでは珍しいのだが、この著者の博識さには圧倒される。生物学、科学、物理学、文学(英文学からロシア文学まで!!)、心理学、社会学、歴史、語学・・・ここまで広い領域をここまでハイレベルに語れる人は大変難しい(一般的に教養は、文系の「シェークスピアを読んだ事があるか?」と理系の「熱力学の第二法則を説明できるか」が同じレベルだといわれているが、これを両方yesと言える人はほぼ皆無らしい。この著者は共に出来るわけだ)
ひたすら利益を追求するアメリカとは違った、博物学のさかんなイギリス人ならではの良書と言えよう。日本人は教養を蔑視する傾向が世界的に見ても強いのだが、この様な幅広い教養を身につけることこそが国際人への第一歩と言えるのではないだろうか?わが身を内省するためにも読みたい一冊。
あらゆる非対称を論証する
★★★★☆
キーワードは「なぜ心臓は左側にあるのか」。キーワードをもとに、社会文化的な左と右、さらには物理化学的な左右非対称にまで話しが及ぶ。論証がきっちりなされていて十分科学的な内容だが、なにしろ内容が膨大で、ブルーバックスというカテゴリーにギリギリ収まったという感じ。