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ミシェル・フ-コ- (講談社現代新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
Amazon.co.jpで確認
入門書にしては難しかった ★★☆☆☆
Amazonにある本書の「商品の説明」として「言葉を、狂気を、監獄を語る遠見の思想家フーコーの視線はどこに向けられたのか―資料集成の奥、思考不能の空間へ。多様な言説の分析を通し、遠望される非在の場。主体のない饒舌と沈黙が交差する深部をフォーカシングして見せる「陽気なポジティヴィズム」に迫る。」とある。この説明文が理解できるかどうかが、もしかしたら、本書を読んで分かる人とそうでない人の差なのかも知れない。もともと理解の難しいフーコーの思想を、ど素人が安易に知ろうというのがそもそも無理な注文だったのだろうか。読んでみて、フーコーの思想とはどういうものかをかする程度に感じたような気もするが、とても理解するまでには至らなかった。入門書というのは、予備知識等特別の前提条件がなくてもテーマを分かりやすく書いてあるものだと思うが、本書は、どちらかというと、大学である程度は哲学を勉強した人を対象とした講義ノートという印象を持った。予備知識を持たないまったくの初心者には難しい書である。
CPの高い基本解説書 ★★★★☆
哲学の優れた解説書は、それを読み進めるうちにページごとに得られる知識(=驚き)を読者へと随時還元しながら、それを蓄積させ、読み終わった段階で自然とその思想が素描できるようによどみなく書かれているものである。本書はそうした流れを中断させる部分がいくつか見られるのが残念だが、なかでも言説の動きに着目して執筆された、概してコストパフォーマンスの高いフーコーの解説書であると評価できる。出版から約20年を経た今日では、他に本書より読みやすい解説書も存在するが、フーコーを鳥瞰するうえで、一読してみるのも決して無駄ではない。フーコーに限らずあらゆる哲学書は原書を直接読み込むのが基本だが、種々の制約によりそれが出来ない読者は、こうした解説書と共にこれまでに数え切れないほど出版されてきた特集記事や、ネット上でも閲覧できる各論文等にも目を通しながら、読者自身のフーコー像を組み立てるのも一案だろう。ただし、フーコー論を選択する際には80年代や90年代初めに時々見られた、安易な権力論にそれを貶めるような論文には注意が必要である。フーコーに関する書物で別の卓越した書籍としては、ドゥルーズの「フーコー」が挙げられるが、ドゥルーズの著作の解読には、場合によってはそれ専用の解説書が必要になるかもしれない。
フーコーの思想の概観には良 ★★★☆☆
フーコーの思想は時代とともに変貌を遂げていますので、内容の一貫性を保ちつつ、たったこれだけのページ数で紹介するのは至難です。こうした困難をふまえ、著者は本書の構成を晩年のフーコーが自身の思想をまとめた際の分類に従い、題材を「エピステーメー」「外の思考」「権力と主体の問題」の順序で一章ずつを与え、また内容にいくぶんの反復を与えつつ筆を進めることで、読者の理解を促しています。

構成が秀逸である反面、文章は現代哲学を題材とした本をいくつか読んできた人でなければとらえ難い抽象的な記述が多いのが難点です。フーコーの思想の記述に終始するあまり、彼の思想の時代的な要請や、どうしてそうした思想がフーコーにとって必然であったのかについて書かれていないのも読みにくくしています。他の本でサルトルやデリダ、構造主義などについてある程度の知識がある人なら、内容はすんなりと頭に入るはずです。

しかしそうなると、他の思想家との比較や、特にデリダとフーコーとの論争についてページが割かれていないため、専門書にもほど遠いという欠点が気になりだします。フーコーの思想を追うことに終始するあまり、彼の死の時点で筆が止まり、彼が時代に残した影響を吟味していないのが惜しいです。とはいえ、新書にそれは求め過ぎかもしれません。

構造主義やデリダの入門書を読んで、一般的な知識を持っている、しかしフーコーには触れたことがないので、よけいな伝記や批評は別書にゆずって、彼の思想だけを素早く概観したいという読者にお勧めします。そうした読み方には十二分に答えてくれる内容をもった本です。
意味が分かりません ★☆☆☆☆
フーコーを勉強したく原典にあたりましたが難解で、サブテキストとして使うつもりでしたが、フーコー本人が書いたものよりさらに難解でした。

難しい事を難しく書いてあり、頭に自信のある方にはおすすめかもしれません。

自信のない方には全くおすすめしません。
不在と言葉 ★★★☆☆
 構造主義に関してレヴィ・ストロースから入門したものですが、構造主義的なアプローチであっても、フーコーが構造主義者として定義されるのを拒絶するのは、彼の持つセクシャリティーに対してのアイデンティティだと思います。権力と性が強制する自我の同一性についての見解と、フーコー自身の男色好きな面が、少なくとも直線状では一致するとは思えません。不在と言葉の考察こそが、彼の成した最も偉大な功績であると思います。入門書としては、適していると思いますが、ジル・ドゥルーズやデリダなどのポストモダニスト達の思想を引き合いに出したり、日本の眼差しとして、仏教や江戸時代の夜這いなどの文化事象を取り込んだりすると、文化比較的な視点も加わり、オリエンタリズムを浮き彫りにすることができるとは思うのですが…。