筆者は主に、フーコーから影響を受けていると思われる。しかし、このようなフーコーだの構造主義だのというステレオタイプはこの筆者の最も嫌うところでありうるので、こんな言説は避けた方が賢明だ。暗黙に前提とされるもの、「実定性」をこそ問い直さなければならない。
「日本語」の問題は柄谷行人の『日本近代文学の起源』と併せて読むと分かりやすいかもしれない。要約すれば、「日本語」は近代の発明物であるということだ。たかだか200年程度の近代にわれわれの思考は囚われている。されど近代だ。
まさに近代の産物、ナショナリズムに関する素晴らしい考察が随所に見られる。「死の共同体」と言い放った部分は圧巻。とにかく、ゆっくり読むことをお勧めする。