濃く深い
★★★★★
クリシュナムルティは本当の意味での宗教者であって、思想家という意味での哲人ではありません。
彼が語るのは思想ではなく、しっかりと見る事が出来ればわかる実際についてです。だから彼は人々に「見なさい」と説きます。
本の前半は3人の対話を収録したものです。流石にちゃんと見れているらしいボーム博士に対し、知識で話しているシャインバーグ博士が少し気の毒ですが、そのコントラストが読む側にとって良い構図になっていると思います。
そして対話の内容は「自我」から「聖なるもの」へと元々深い話からより深遠な話に至ります。
この前半だけでも買う価値はあります。
瞑想体験の共有
★★★★★
クリシュナムルティの著書を20冊以上読んでいますが、その中でも最も素晴らしいものの一つだと思います。
この本は、三人が討論しているのを傍観者として見るのではなく、三人の会話を自分が自身に行っている会話として捉え、観察することです。きっと瞑想体験が共有できると思います。
ただし、この本を最初に読むクリシュナムルティとしてはお勧めしません。おそらく少し身勝手で支離滅裂な人物ととる方がいるかも知れません。この本は、ある程度彼の世界を知った上で読まれることをお勧めします。
やっと読みました
★★★★★
本棚の片隅に眠らせておいてほぼ十年、ついに読了しました。よい本ですね。この十年間、時おり気になっていたのです、クリシュナムルティ。こちらに余裕のない時には、努力して読もうとしても無理でした。古本屋に売らなくて本当によかった。読むことを可能にした要因として、歳月のほかには、知人が古くからのクリシュナムルティの読者だったことが大きいです。雑談していて、「あっそうか。偉い人なんだ。読もう」と思ったことが本に向かうきっかけになりました。今、偉い人と書いたのですが、彼ほど教祖として祭りあげられることを回避しようとした人もめずらしいように思います。その慎み深さに尊敬の念を持ちます。
見えてくるのは思考の肥大という断片化。
★★★★☆
前半は3人の討論形式で、
今をときめく物理学者D・ボーム博士の相手として、
クリシュナさんは力不足な人ですが、
それがかえってボーム博士の発言(思考)を冴えわたらせ、
このインド人と西洋人の思考力のエンタティメントに自然にはまっていきます。
クリシュナさんの弱点にボーム博士のストレートパンチがバシバシ決まり、
D・ボーム博士からは
「もっと本物の悟りの賢者と打ち合いたい!!(本人の前では言えないけど・・)」
という本音が聞こえてきそうですが、
判定は、
私的なイメージ内容への絶望から無を求めるインド人と、
普遍的なイメージ構造(宇宙構造)を探ろうとするクリエイティヴ精神の西洋人で、
西洋人(D・ボーム博士)の勝ちです。
思い込みほどつまらないものはありません。
ともあれ、この断片化した思考のエンターティメントに付き合ったところで、
全体性なんか見えてきません。
後半はクリシュナさんの講和ですが、読み飛ばしました。
人間が本当に知りたいことは、「変容」のノウハウなのである
★★★☆☆
「世の真実=真理」を天(波動の法則)から知らされている唯一の人間「ボーム」は、「相当なるおとな」である。
しかし、「自負心」が強すぎるゆえ、知ったかぶり屋・「自我」丸出しの「シャインバーグ」の失言フォローに気を配りすぎ、本領発揮できていない。
「崇高なる私が見出した‘愛の説’に従わない人は不幸になるであろう」式脅迫者「クリシュナムルティ」は、言葉で相手をケムに巻く天才。
その‘愛の説’はへ理屈にすぎない、ということが次のことからわかる。→「シャインバーグ」を愚者とみなし、彼の発言をいちいち牽制している上に、権威をふりかざし、「あなたに私の説が理解できるはずない」とまで愚弄している。 一方、強い立場にある「ボーム」のことは一応立てている。
「誰もが‘自己’を捨てるべきだ」と繰り返し言っていながら、「私は悟ることができた稀有な人間だ」との「自己宣伝」を何度もしている。 (実際には、悟ることができた人間は皆無だ)
「クリシュナムルティ」の、「私は世界だ、世界は私だ」との言葉は、すなわち「人類は元を同じくするものであり、すべからく平等だ」という意味だ。 だが、彼の「先生ぶり」はどうだ!
本当に平等だと思うなら、また本当に「自己」を捨てることができているなら、なぜ「偉い私が偉くない他人を指導するための本」をたくさん出版するのか?
しかも、「変容」が絶対に必要だ、としつこく書きながら、そのやり方を書かない「もったいぶり」のいやらしさ。
ついでに書いておくが、「変容」のコツは こうである。
「・左脳に蓄えてきた情報を意図的に捨てる努力をすること(左脳に蓄えられている情報を引き出すと、「自我」主体の想念が出てきてしまうからだ。 「自我」は、新しい自分には不必要)
・右脳を使うべく訓練していくこと(インスピレーションは右脳から発する=右脳は、‘天からの導き’を容易にする。 「自我」を出さないよう心がけていると、右脳がよく機能するようになる」
・自己操作せず全部を天任せにしたい、と願望していると、トラブルが少なくなり、スムーズに暮らすことができるようになり、本当の自信がつく。
すると、他人より上でありたい、という「クリシュナムルティ」のような欲求を持たなくなる。 また、事象の本質を見抜けるようになる。
すると、心に、ついぞ「クリシュナムルティ」が持てなかった「大きな余裕」が生まれる。
この余裕が、いわゆる「慈悲心」・「愛」・「おおいなるプラスの波動」である。