カリユガとは末世を意味する言葉 我々がこの大変な時代に生まれた意味
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~一般には「サイババ」とは名前だと誤解されている様ですが、これは聖職者にあたえられる敬称なのだそうです。ゆえに過去の時代にもサイババと呼ばれた聖人が存在しました。現代のサイババはその転生だとされています。本書はその伝説と現代のサイババとの因縁が語られます。そしてこの末世=カリユガの時代に関して、人類の生きるべき心構えが記されています。~~本書を読む事で、我々の生きるこの大変な時代への認識が改まる事でしょう。先代のサイババはヒンドゥーとイスラムの橋渡し・融和の功績があったとされますが、この理念はヒンドゥー、仏教、イスラム、カトリック、いずれの宗教もひとつの道に収束される多様な入場口に過ぎないとする現代のサイババに受け継がれ、それは単なるお題目に留まらず、目黒にあるア~~シュラム=寺院の神棚には仏陀・イエス・マホメッドらの肖像が平等に飾られ、一般者やいかなる宗教徒が訪れようと拒まれる事がありません。私も数年前、数回訪れた事がありますが、解放的な無防備がかえって心配になる程で、ここが宗教団体などでは無い事が納得出来ました。もし市井の宗教団体の教会に迷い込んだならたちまち周りを囲まれ入信を迫られウンと言~~うまで帰してもらえないところでしょう(^^;)。お布施や寄付をせがまれる事も全く無く、世界各国に点在するこの組織の実態が布教活動を行わない慈善団体であり、この事実は私が実地検証してきました。信仰とは豪華絢爛に飾り立てられた神殿を崇める事などでは無く、日々の生き方と実践にこそ在るのであり、本書の様な本で学ぶ事で充分ですが、霊性の大国インドの~~香りや神聖な霊気に触れたい方は一度教会を訪ねてみるのも良い体験と成るでしょう。日曜の礼拝日には神を讃える歌「バジャン」が聴けまい。
しかし神殿も神棚も仏像もイエスや仏陀ら預言者も、象徴でしかありません。礼拝はいつでもどこでも日常生活の中で、我々の心の中できるのですから。~