人生論や処世訓と一線を画した「般若心経」の真髄
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サンスクリットの原典を読み込んで、漢訳の「般若心経」が解釈し直される。それによって従来の定説がいくつも覆される。このあたりの判断は素人には難しいが、著者の論証は自信に満ちて歯切れ良い。「般若心経」を人生論や処世訓と結びつける傾向とは一線を画して、「瞑想の指南書」であり「真言の念誦法」を説いた経典であることが強調される。それを証すに、わずか262字の語句にこめられた仏教思想と歴史がわかりやすく密度濃く解説されて、特に専門的な知識のない私のような者には非常に勉強になった。
著者は、瞑想を4階建ての建物にたとえて、瞑想の深まりとともにフロアを上昇して見通しがよくなる世界に入っていくことだという。階下の世界を踏まえて階上の世界へ入るのは超越であり、階下の世界を否定することではない。2階の世間レベルにある煩悩のままのこだわりも否定されるのではなく超越されていくという考え方には魅力がある。「般若心経」は、4階の大乗レベルにある観自在菩薩から見える世界を3階の小乗レベルにある舎利子に向かって説いたものであるという。そして最後にマントラ(真言)を以て結ばれる。あの「ギヤテイ、ギヤテイ、ハラギヤテイ、ハラソウギヤテイ」という不思議な語句が何故ここにあるのか、著者の説明で初めてわかったような気がした。
著者の「般若心経」の捉え方は、著者が属する真言宗に特有のものなのだろう。空海の言葉が重要な意味を持って引用されていることからも推測できる。しかし、瞑想の指南書であると教えられても、誰もがすぐにその道に入っていけるわけではない。逆に壁を設けられた気がするが、その壁を越えたところに新たな世界が広がっていることは感じられるのである。