しかし、エルブジの料理は温度的な錯覚や食感など言葉だけでは
表現出来るものでは無く、サービスの仕方までをも含めた
エルブジと言う空間での時間の過ごし方、
フェランの意図するものは何かと言うところまでを楽しめないと
意味を成さない。フェランの料理はエルブジで食べてこそ
価値があり、エルブジ(フェラン)の料理の本質は
文章でも、写真でも、映像でも伝わらない。
そう言った意味ではこの手の本はエルブジに行きたい人、
行く予定の人が読むとエルブジをつまらなくさせる可能性もある。
行ったことのある人、料理の一つとしてフェランの料理を
知りたい人ならば数少ないエルブジ本としてオススメしておく。
料理のつややかさ、色合い、匂いまでも写し撮った大判の写真はなかなか見事です。料理を紹介する本の中には写真がこぶりなために、今ひとつ「見えない」というストレスのたまる思いをさせられるものがありますが、この本の写真は実物大に近いと思われる十分なサイズがあって安心して見ていられます。紹介されているレシピに従って料理を作るつもりのない読者も、料理写真集として眺めていて飽きることはないと思います。ただしあくまでスペインの伝統料理そのものに触れている本ではなく、いわゆるヌーベル・クイジーンを紹介しているということを覚悟する必要はあります。
著者の渡辺万里氏が巻頭に掲げたエル・ブジの来歴には、少々首をひねる部分がありました。オーナーであるジュリ・ソレールは駆け出し時代のフェランに対して「僕と組んで仕事をするなら、君をスペイン一のシェフにしてみせる」と語ったとあります。元音楽プロデューサーであるジュリが実際にどういう戦略をもってフェランをスペイン一のシェフにしたのかは、この文章にはしかとは書かれていませんが、書かれていないがために、このレストランが世に広く知られるようになったのはシェフの腕前そのものよりはジュリという「プロデューサーの売り出し」がうまかっただけではないかという穿った見方を抱かせます。
著者自身もジュリのメディア戦略にのせられてしまっているのではないかという印象を与える結果となり、損なつくりの本だなという気がしました。