ちょっと思い込みが強すぎないか
★★★☆☆
エッセイ風味の柔らかい文体なので読みやすい。
そして、古代推理物だと思えば、かなり面白い。また、直接足を運んで神社伝承を集めた研究者魂にも敬意を表したいと思う。
しかしながら、神社伝承ばかりを手がかりにどんどん推理→断定となり、「明らかである」が連発されているのには困惑する。
読み手としては、「えっ?それだけでA神とB神は同体であると断言しちゃうの?」と思うのである。
また、神の「名前が違う」というのには、それなりの意味があろう。日本全国的に見れば、山ひとつ超えれば別文化、みたいなところがあるのだし、かつては素朴に祀られていた土地神がそれぞれ別に居ただろう。それらが後世になって、文化の交わりによって同一視されることもあろうに、そういうことを著者は考慮に入れていない。
また、個人的には、異称がやたらめったらおおいのは、記紀によって作り出されたオオクニヌシだけで十分である。
異称が多いと言うことは、むしろ別神だった物が後世同一視された証拠にはなっても、もともと同体であったという証拠にはならない。
また、複数の神が祀られていて名前が併記されているのであれば、それは異称を表しているのではなく、普通に複数の神を別神と捉えてお祀りしていると考えるのが普通ではないだろうか。
著者はそういう併記を、「A神とB神は同じであることが明らかである!」と勝利宣言でもするような勢いなのだが、個人的にそれは別神…と、読みながら何度呟いたことか知れない。
初めに何か思い付くと、もう著者の中では答えは決まってしまっていて、都合の良いように証拠捜しをしてしまっているのが残念だ。
ただ、それでもなお一読の価値はあると思うので星3つ。
最も信頼出来る研究書です。
★★★★★
大切な一冊です。この手を好きな方。文句無しで御薦めです。
古代史を旅する紀行文
★★★★★
記紀もまともに読んだことがない私にとっても興味深く楽しく読ませてもらった。古代史を旅する紀行文のようでもあり、推理サスペンス物のようでもあり、夫婦愛・父子愛のヒューマンドラマのようでもあり、古代史のロマンに惹きつけられたきっかけになったのは間違いない。鎮守の杜を歩く時風の音に、時を越えて今にささやく古の人々の想いを感じ取る著者の感性に驚かされる。文献的にどうか?という話はもちろんあるだろうが、読者を古代の世界に一気に引き込むこの著作、神話や古代史に関心を持ち始めた方にはお薦めの一冊です。
古代史に興味のある方はどうぞ
★★★★☆
記紀が政治的意図を持って編纂されたのは万人の知るところ、だが、これは「白い白馬」と言うようなものか。役人が編纂して「政治的意図」を持たない歴史書などある訳がないし、個人編纂だとてそれは同じ穴のムジナだろう。こうなると認識論の領域だが、甚だしい歴史改竄には誰しも義憤を感じるものだ。
かつて日本は古代に大英雄を持ったが、記紀は彼らを歴史から抹殺した。犠牲者は果たしてスサノオとその息子ニギハヤヒである、という内容。ちなみに梅原猛推奨、となっている。著者が検証資料として利用するのは数々の神社記録。
読んでいて「漫画ネタになるなー」とちょっと楽しい気持ちになったが、「そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」の領域で語気強く感情的な歴史語りをされると個人的にはついていけない。邪馬台国がどこにあったかは「心の遊戯」の世界以外では興味はない。著者はスサノオを織田信長と幾度も対比させつつ熱く語るが、その情熱は私には正直謎だ。資料至上主義でもなければ実証主義信者でもないが、しかしこれを「歴史学」というならおそらく歴史は学問の面目を失う。何度「見てきたんですかー」と突っ込んでしまったことか。もしかしたらこれは語り口の問題かもしれないのだが。
クソ真面目に読まなければ古代史好きの方にはそれなりに楽しい本だとは思う。後は、語りがくどくてエモーショナルでも気にならないという方。著者が語る神社巡りはとても楽しそう。写真を眺めながら旅情に誘われる。個人的には星三つだが、古代史好きの方対象に星四つで。
日本の黎明期を鮮やかに描き出す
★★★★☆
著者は、神さまとして祀られている人は架空の人物でない、とのスタンスをとっている。何もないところから神話を作り上げることは難しく、私もまさにその通りだと思う。そのスタンスに則って、イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、ニギハヤヒたちの相互の関係や人物像が本書で明らかにされていく。
神社に残る記録を重視するのはいいが、その記録自体の信憑性に疑問が残る点と、説明の仕方がくどい点が気になったが、著者は日本の黎明期を鮮やかに描き出している。邪馬台国や神武東征の説明も納得出来るものである。