アマテラスはたまたま太陽が担当だった気弱な女神
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『古事記』や『日本書紀』(記紀)が成立した時代にはタカミムスヒが皇祖神とされていました。現在ではアマテラスです。何故タカミムスヒにアマテラスが取って代わったのか。この本の目的はその謎を明らかにすることです。
それには、まず記紀がどう成立したかを古代の日本の政治や外交や社会制度との関係で説明しないとなりません。この本の大部分はその説明に当てられていますが、これが非常にわかりやすいのです。主流となっている学説や異論、まだ解決の付かない問題、著者の推測、それをきっちりと区別して述べてあります。
著者は多くの文献を丹念に読み、深く論考しています。印象に残った部分は多々ありますが、ひとつだけ例を挙げます。
一般にアマテラスは太陽神であるから強力な力を持っていると考えられがちです。ですが、弟神であるスサノヲが暴れたときに諌めることをせずに、逃げて天岩戸に隠れただけです。岩戸から出てきたのも他の神々に引き出されてです。スサノヲを追放したのも他の神々で、アマテラスは命令も何もしていません。気弱な一女性の姿でしかありません。このように、著者は述べています。
つまり、アマテラスはたくさんいる神々の一員で、単に担当が太陽であったというだけです。たしかに先入観を持たずに読めばそうですが、目から鱗でした。
そのアマテラスが何故皇祖神という特別な存在になったのか。それはこの本を読んでのお楽しみですが、巷に溢れるトンデモ系の古代史や神話の解説書とは一線を画する、本物の研究者による水準の高い入門書と思います。記紀や神話や古代の日本に興味のある方はまずこの本を読まれることを強くお勧めします。
凄く素敵な文章だと思いました。
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日本の国家神・皇祖神と言えばずっと昔からアマテラスだと思ってしまいがちですが、実際にはアマテラスの前に国家神・皇祖神としての役割を担っていたのはタカミムスヒという神であった、というのが本書の主張です。
具体的にはヤマト王権時代(五世紀〜七世紀)はタカミムスヒが皇祖神・国家神として扱われており、律令国家成立以降(八世紀以降
〜)になってやっとアマテラスが皇祖神・国家神として祭られるようになったとのこと。
この他、古代史や神話に関する興味深い記述が盛り沢山な内容です。
文章は、かなーり硬いです。
が、それはただ読みづらいだけといったマイナスの要素を感じさせるようなものでは全くなく、文章には説得力を、読者には信頼感を与える素敵な硬さです。
それでいてわかりやすく、本当に良い文章だと思いました。
「新書というのはこうでなくちゃ!」と思える新書が少なくなってきているように思いますが、やはり新書というのはこうでなくちゃ!(笑)
神話や古代史に興味のある方にオススメです。
国家神の差し替え
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父母たちの世代とは異なり、評者にとって皇祖(アマテラス)・皇宗(神武天皇)は空想物語りと避けてきたし、記紀神話の世界も今ひとつ馴染めなかった。ところが本書の帯の「国家神は必ずしもアマテラスだけではない」に惹かれ本書を手にしたが、最新の学問的成果を踏まえており、しかも平易な記述と興味深い話の連続に一気に読んだ。
なによりの衝撃は、5−7世紀のヤマト王権時代の国家神タカミムスヒである。至高神たる国家神や天孫降臨の考えは5世紀初頭の対高句麗戦惨敗後の危機の時代に北方ユーラシア遊牧民の文化の受容とともに導入されたものであり、朝鮮半島南部の国々との神話や始祖神名の類似に痕跡を留める。一方のアマテラスはもっと古く、弥生時代に海を渡ってきた南方系の神であり、多神教的世界では目立たない地方神の一神に過ぎなかった。
ところが7世紀に白村江での敗戦、大化の改新を経て律令国家建設の時代になると、歴史や神話の創設や書き換えが始まる(国家事業としての古事記、日本書紀の編纂も同時期)。そして天武天皇の主導で国家神のタカミムスヒからアマテラスへの差し替えが行われるのだが、このあたりの歴史の躍動感と著者の洞察は、並の推理小説よりも面白い。
神話は文字のない時代の話でありまたモノとしての史料もなく、とんでもない推論や空論が起きかねないが、この点著者は慎重で抑制的ある。権威者の論でも問題点は指摘するし、自論は根拠とともに述べ学会の少数意見である場合はきちんと断っている。また当時の東アジア情勢の中で日本古代史や日本神話を位置づけていることも、説得力に富む。
伊勢神宮の近くで子供時代を送った著者は、アマテラスを少し頼りないが心優しい女神様と愛着を持っているようだ。冷静で客観的な歴史記述の合間に著者のアマテラスへの感情移入が垣間見える箇所も微笑ましかった。
アマテラスが「国家神」になるまで
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日本の国家神は、アマテラス(天照大神)であると、長い間信じられてきました。
ところが、実際には、アマテラスは最初から国家神だったのではなく、最初は、別の国家神がいたというのが、本書の主張です。
そして、国家神の交代劇を、当時の国際情勢や各神話の比較等を通して、論証しようとしています。
本書には、興味深い事実がいくつも出てきます。ざっと挙げるだけでも、以下のごとしです。
・「天孫降臨神話」の構造が、高句麗やモンゴルなど北方ユーラシア文化の神話と極めて似ていること。
・4世紀初め頃、日本の国家体制に、大化の改新や明治維新にも比すべき大変動が起こっていたらしいこと。
・「イザナミ・イザナキ神話」と「天孫降臨〜神武東征神話」は、それぞれ、本来、独立した神話体系であり、前者は南方文化の、後者は北方文化の影響が強いこと
本書を読むと、神話のあり方は、当時の国家のあり方と密接につながっていたというのが、良く分かります。
日本の古代史に興味を持っている人には、お薦めです。
良書ですよ。
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天照大神といえば、現在では日本の最高神であり、太陽神として崇敬されています。
私自身も古事記や日本書紀を読んで、ずっと昔からそうだったのだろうと思っていました。
しかしこの本を読むことで、その考えが覆されます。
ずっと読み進めていくとわかりますが、天照大神を否定しているわけではなく、
歴史の背景を捉えて、どのように最高神へとなったのかが理解できます。
ですので常識が覆されましたが、良い意味で覆され、知識が増えたと言ったほうが良いのかもしれません。
古事記や日本書紀を読んでから、この本を読むと理解が早いと思います。
おすすめです。