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伝説となった国・東ドイツ

価格: ¥2,205
カテゴリ: 単行本
ブランド: 現代書館
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面白い作品ではあるけど・・・ ★★★☆☆
 東西ドイツ人の本音?に迫った、なかなか面白い作品ですが、ところどころ気になる箇所があって評価を下げました。

 私が気になったのは、ドイツ人が再びナチ化するか?という項です。(どんな題だったかは忘れました。)ナチ化するか否かはともかく、ユダヤ人について全く触れられてないところがおかしいです。人種というより宗教の問題であり、ヨーロッパ全土にかかわる問題ですが、ドイツ社会にイスラエルまたはユダヤ人から”必要以上に”圧力をかけられてることを、ドイツに滞在してた著者なら知ってるはずです。
 
 たとえば、ネオナチの若者によってトルコ人の家が焼かれて、トルコ政府が抗議をするのは分かりますが、イスラエル政府からも抗議があるというのは、ドイツ人にとっては納得できないでしょう。
 そういった社会的背景を踏まえず、ただ単にドイツ人の人種コンプレックスや人種差別などといったものが、ネオナチの原因つまりドイツ人の再ナチ化というのは話が飛びすぎます。
 ヒトラーが成功したのは、周辺諸国やバチカンが黙認してたからというのは常識です。人種をテーマにするなら、それくらい遡って丁寧に探らないと単なる人種差別主義ドイツ人で語られてしまい、大変失礼です。

面白いが・・・ ★★★☆☆
現在ベルリンに住んでいますが、ほんのささいなことから「ここは旧東区域だったんだなぁ」と意識することが多々あります。
壁がまだあるころにこの街を旅したことがあるので今の劇的な変化に驚き、日常生活で東西のなごりを意識するたびに、ここに住む旧東ドイツの人たちがどんな思いでこの生活を受け入れているのかとても知りたいと思うようになりました。

この本は実際に著者がインタビューした旧東の人たちの証言に基づいて書かれているので彼らの葛藤が生々しく伝わってきます。
ここにいたるまでの心の紆余曲折、彼らの苦悩、半ば諦めにもにた挫折感がひしひしと感じられました。
旧東ドイツの人たちの、統一から数年を経た証言というのは一読の価値があると思います。

そういう意味では大変読み応えのある内容でした。

ただ、ところどころで筆者の個人的価値観というか、社会批判が好ましくない言葉(人をあからさまに「ばか」よばわりするなど)で強く現れていることがあり、読んでいて不快に感じるところが気になりました。

自分の著書で考えを述べるのは間違いではありませんが、表現が適切であるかというとかなり疑問を持ちます。
なので星の数はきびしめに三つとさせていただきました。

東ドイツ留学経験のある日本人フリー・ジャーナリストの異色ルポ ★★★★☆
△90年代末の旧東ドイツ地域(ライプツィヒとベルリン)に取材をして、統一後十余年を経ても西側出身者と東側出身者との間で心の距離が縮まらずにいることを描いた大変興味深い一冊です。

 著者自身が末尾で書いているように朝鮮半島が統一された際に北部出身者と南部出身者の間で同じようなわだかまりが起きるのだろうなと想像する一方で、「外国出身者」への偏見や差別によって自らを大きく見せるという底の浅さといったものは日本人の心にも巣くっているのではないかという思いを強くしました。そんな風にドイツの事例を自分たちの問題として引き寄せて読むことが可能な本だと思います。

△東ドイツから西ドイツへ移住が許されたのは年金生活者に限られていたという話を耳にしていましたが、若い人たちも制度上は移住の申請が可能だったことをこの本で知りました。朝鮮半島に比べれば人の往来はまだあったということです。もちろん許可がおりる前に当局から陰に陽に嫌がらせが続いたこともこの本には書かれています。

▼著者の日本語に気になる箇所があり、読書が阻害されることがたびたびありました。
 「アメリカ合州国」(71頁):「合州国」と書く本多勝一氏のシンパはこれに倣うのでしょうが、「合衆国」というのはUnited Statesの誤訳ではなくて、民衆が合わさって作った国を意味する漢語だという説もあります。いずれにしろせめて本多氏のように断わり書きを添えないと、本多氏の著作に触れたことのない読者には「合州国」は誤記ととられるでしょう。

 「問題にたいして盲目となり」(76頁):「盲目」という言葉をこれほど躊躇なく否定的に使う文章を久しぶりに見ました。障害者の友人が著者にはいないのでしょうか。
 「西ドイツ人」(82頁)と書いたり「西独人」(100頁)と書いたり表記に一貫性がありません。

社会主義に甘いルポ ★★★☆☆
おもしろくは読める。人々はシュタージ(秘密警察)の恐怖はあったが、牧歌的な社会―階段を助け合って暖房のための石炭を運び上げた東ドイツ時代の生活―に郷愁を感じている。しかしその時代の方がよかったとはもう誰もいわない。秘密警察と旅行の制限が我慢ならなかった。だが、いいところもあったとはいう。逆にシュタージの職員だった者は自分たちは国家のために命令に従っただけなのにと被害者意識さえ持っている。突然市民の前に彼らが現れたときどのような恐怖を与えたかを自覚していないらしい。

この著者は明らかに共産主義、社会主義に甘い立場をとっている。ルポを取った対象は一般人である。西尾幹二が避けた行き方だ。西尾の著書、「全体主義の呪い」(改訂版「壁の向こうの狂気」)とはある意味で対照的な見方ともいえよう。西尾の本を読んでえた私の東ドイツ観とはずれていて違和感を持ったが、それなりに面白く読みもした。著者の心情の投影からくるのだろうか、矛盾を感じるところもところどころある。この著者は、べルリンの壁崩壊の3年前に東独のカールマルクス名を冠した大学に、何を学ぼうとして留学したのだろう。これが、この本の意図するところを物語っているのではないだろうか。

一読の価値あり ★★★★★
ドイツの統一問題を扱った本が出るとは期待していなかったので、感激した。多くの東西両ドイツ出身者にインタビューした上で、個々の現象に対して性急な判断を下さず、できる限り多角的にみようとする著者の姿勢がよく伝わって来る。ごくわずかな例外を除いて、著者の解釈、推論には首肯できた。

単なるドイツファンにはショッキングな内容かもしれないが、社会の現実はどこの国でもバラ色ではありえない。著者が意図的に資本主義・社会主義をいうことばを避けているのは明らかであり(その理由を示して欲しかった)、その代替のキーワードになっているのは個人主義と集団主義と思われる。たとえば集団主義という観点からみると、当時の東独が日本社会に似ているというのは非常に興味深い指摘である。
また、元特派員によって書かれたルポルタージュと異なって、類型的なジャーナリスティックなスタイルでない点が好ましい。