少しずつ深められていく、法をめぐる思考の快感
★★★★☆
丸山圭三郎と廣松渉の、歴史的対談である『記号的世界と物象化』(情況出版、1993)の中で、森末伸行さんの、『法フェティシズムの陥穽―「法哲学としての社会哲学」へ』が賞賛されており、森末さんの名を初めて知りました。
『法フェティシズム…』では、マルクスと廣松渉が基本的な文献として引用されていましたが、本書もその立場です。
まず、法哲学とはいっても、普遍的な法ということではなく、市民社会であるところの近代社会における法を対象とすることが最初にあきらかにされます。結局、時代や社会のパラダイムの中でしか法を考えるほかはないという立場です。
ではその近代市民社会とはどのような社会なのかというと、貨幣による、対等の交換を行える、「抽象的な人間」による社会です。というよりも、法学が対象にしているのは、そのような社会における法なのです。
このような思考が、百数十のパーツに分けられ、物々交換から貨幣の登場にはじまり、徐々に深められていきます。この手法は『法フェティシズム…』と同様です。
スリリングな思考が味わえますが、これでは、英米法や立憲君主国の、慣習や伝統による法が説明しきれないのではないか、と思いますので、星は4つ。