心震える
★★★★★
抱えきれない悲しみを胸に、それでも来る毎日を丁寧に生きてゆく。
そんな日々の中ふと、どうしようもなく寂しくなる瞬間に出た彼女の心の叫びが『おかあさんのばか』。
遺されながら家族のために明るく気丈に生きる少女の横顔の美しさに心が震えました。
自分を育ててくれた人に感謝したくなる、忙しくて心を亡くしそうなときに開くと自分を取り戻せる、そんな、自分にとって大切な一冊になりました。
写真による童話のような、心打つ一冊
★★★★★
お母さんを脳出血で亡くした小学生の古田幸(みゆき)ちゃん。学校の先生をしているお父さんと中学生のお兄ちゃんとの三人の生活が始まりました。一家で唯一の女手となった幸ちゃんは、「おかあさんのかわりに うちの中を 明るくしなくちゃと思う」のです。そんな幸ちゃんが日々の生活を綴った詩の数々と、幸ちゃん自身の姿を撮った写真とをあわせて紡いだ写真集が出来ました。今から40年以上も昔、昭和39年のことです。
幸ちゃんが幼い自分を残して逝ってしまった母親に対して「おかあさんのばか」と言葉の礫(つぶて)を投げつける表題作をはじめ、どれもがやりきれないほどの淋しさを刻みこんだ詩編ばかりです。それでいて自棄になるということはありません。というよりもそんな暇(いとま)は幸ちゃんにはありません。彼女のこの上ないほどの健気さが迫ってきて、目頭が熱くなります。
昭和39年の冬は幼い少女にとって今よりも一層寒さの厳しい季節だったことでしょう。モノクロの写真に写しこまれている風景は、お湯用の蛇口が存在しない炊事場、火鉢にかざす両手、庭先で七輪の火の具合を覗き込む幸ちゃん、といった具合に、母の温もりを失った少女にとっては今まで以上にこたえたであろう冷え冷えとしたものです。
ですがこの写真集では、前半でこそ心模様を顔に映すことを拒絶したかのように無表情であった幸ちゃんも、後半では父と兄とともに少しずつ笑顔を取り戻していくのです。最後の一葉は、満面の笑顔を浮かべながら裸足で元気いっぱい野を駆ける幸ちゃんです。
そして巻末に、40年を経た2004年の古田幸さんの短い手記が添えられています。
「理解ある夫と二人の子供と幸せに暮らしています。常に、家族を大切に過ごしてきました。これからも健康第一に、楽しく明るい家庭を築いていきます」。
良かった。本当に良かった。心の底からそう思える写真集でした。
古田幸ちゃんが、四十年後の今、幸せになっていて、ほんと良かった。
★★★★☆
ほかに誰もいない学校のプールで膝を抱え込む少女... 誰もいない校庭の藤棚に一人佇む少女...
誰もいない学校の寂しさ、それはきっと幸ちゃんの心の風景...がモノクロームの写真から伝わってくる。
この写真集は、脳出血で突然母親を亡くした小学生の女の子、古田幸ちゃんを被写体にしているんだけど、どうしてだろう、四十年という時の流れを痛いくらいに感じさせる。もちろん、小学生で母親を亡くすってことは当時でも特殊なことだとは思うけど、この女の子の強さ、健気さは、今、どこを探したってないだろう。古田幸ちゃんは、今の日本の子供たちよりは、この間テレビの「新シルクロード」で見たウイグル族の子供達に近い表情をしていた。ウイグル族の子供達は、まだ十代なのにパン屋の見習いだったり、たばこ売りだったり、踊り子だったりする。取材者の「今の仕事は楽しい?」とか「将来どうなりたいの?」といった質問にはうまく答えられない。そう、“自分のため”ってことより先に、“家族のため”だったり“生きるため”っていう切実な役割を与えられている。古田幸ちゃんの、「だけど 私は女だ。 おかあさんのかわりに うちの中を 明るくしなくちゃと思う。」って言葉、これどうなんだよ。学校で勉強して、家事をこなして、その上、“うちの中を 明るくしなくちゃ”って...
だからって、僕は「平和ボケ日本」って悪くはないと思う。「自己」を持て余すなんてことが、とっても幸せなことだって自覚さえあればいいんじゃないかなとも思う。古田幸ちゃん(さん、か)の「現在、理解ある夫と二人の子供と幸せに暮らしています」ってあとがきの言葉にとっても救われた。そう、幸ちゃんが、四十年後の今、幸せになっていて、ほんと良かった。
本当に、おかあさんのばか
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家族の愛、家族の絆、愛情の本質が伝わってくる一冊でした。6年生の少女が母を想い家事をこなし、父と兄を気遣う姿が目に浮かぶ詩と写真の数々。切なくて悲しくて、美しい作品でした。
やっぱり細江英公!
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細江英公の写真集出ないかな?と思っていたところに
この写真集が出版されて本当にファンとしては嬉しい限りでした。
写真とお母さんを亡くした女の子の日記(詩)で構成されていて、
女の子のお母さんを恋しく思う気持ちが伝わってきて
読みながらしんみりしてしまいました。