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科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

価格: ¥714
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))
ついつい小説感覚で読み切ってしまいました ★★★★★
 古今東西で最も難関といわれている「科挙」について、その制度・意義・影響を叙述しながらも、多彩な小ネタを織り交ぜている本書は、まるで時代小説のようでした。ここまでやるかという「カンニングシャツ」をはじめ、コミカル?なネタのオンパレード。本当に面白かったです。
 この本のポイントは、中国史の大家である著者の、科挙に対する的確な分析に基いた「評価」の箇所にあると考えます。今の日本の世情に当てはまる指摘は、流石だなと感心します。
 しかしながら、一部、本当にそうかなぁと思ってしまう箇所もあります。次の箇所です。「日本の試験地獄の底には、封建制に非常に近い終身雇用制が横たわっており、これが日本の社会に真の意味の人格の自由、就職の自由、雇用の自由を奪っているのである」(pp.215-216)。前後の文脈から判断すると、アメリカの社会と日本社会を対置し、アメリカのそれの方が好ましいという論調のように思えるのですが、この点には少々違和感を感じました。
 まあ、こういうことを考えさせるのも、この本が単なる歴史教科書の類とは異なる、教養書であるが故でしょう。お勧めの一冊です。 
試験社会 ★★★★★
中国の官吏登用試験として名高い科挙の実態について書かれた本です。科挙試験のすさまじさが伝わってきます。日本の受験地獄を考える上でも有用な本です。しかし、本書にも書かれているとおり、それまで、情実で一部貴族から採用していた官吏を、その能力で登用した画期的な制度であり、そのことを冷静に評価しています。日本の受験地獄も問題ですが、されば、いかなる制度によって、公平に、有用な人材を発掘するかというと、非常に難しい問題で、現在の試験制度は、よくできた制度なのかも知れません。現在の試験の制度に代わる、これを超える方法を考えていくのに科挙の制度を考えるのは役に立つと思います。過去の歴史を知り、現代を考えるのにとても良い本だと思います。
科挙のシステムについてよく分かった ★★★★☆
 科挙のシステムの説明から、科挙の過酷さにまつわる逸話まで過不足無く説明されており面白かった。

 かなり理不尽な理由で失格になったりするひとが少なからずいたようで、はるか昔の異国の話とはいえ、なんとなく気の毒になった。
日本の受験生必読の書 ★★★★★
 清朝の末期における科挙制度を基準として書かれている。当時、科挙試験の前に受験資格を得るため、県試、府試、院試という3つの学校試験があり、官吏の頂点を極めるためには、科試、郷試、挙人覆試、会試、会試覆試、殿試、朝考の7つの科挙試験を経る必要があった。「八歳で入学して十五歳になるまでには、ひと通りの古典教育を終了するのが普通」というが、この間、学問の中心である「四書」「五経」の本文約四十三万余字をひと通り暗誦するのが立前であるという。これで県試のスタートラインである。
 公平さ客観性の確保からか、試験には驚くべき工夫がなされている。県試では、答案作成の速度を知るため、出題後一時間ほどで係員が答案の書けた所までに印判を押すという。また、多数のものがほとんど同一の文章を書いた時には、朝廷で禁止している模範答案集で勉強したものとみなされ雷同と称して全部落第にするという。院試の第三回試験では、「第一回に自己が提出した答案の最初の数句をおぼえていて書きこまなければならない」。これにより本人確認を行うというから想像を絶するしかけである。
 大変なのは受験側だけではない。郷試では受験者の答案をそのまま審査員には見せないという。「筆跡などから判断して特定な人だけを通そうと有利に採点されると困るから」である。また郷試合格後に答案の正本が北京に送られ再点検を行うというから念の入りようは半端ではない。前の試験との筆跡照合を行うことは言うまでもない。
 科挙試験である郷試や会試は三年に一度しか行われない。「二十代の始めに進士の栄冠をえる者はよほど運のいい方であり、三十代でもそれほど遅い方とはいえない。」という。競争率は「生員から挙人になるための郷試は、およそ百人に一人という割合・・・次の会試は数の上では三十人に一人の合格率である」というから途方もない倍率である。
名著ここにあり〜プリンシプルのない日本を映す鏡 ★★★★★
中国王朝の官僚登用試験である科挙制度を平明にかつ興味深いエピソードを多く交えて解説する名著。
受験生である「挙生」のエピソードを採りあげるのは、一般の読者の興味をそそるからかと思いきや、実はどのような制度にもフォーマルな面とインフォーマルな面があるのであって、制度的にどのようなものだったのかを記すだけでは、片手落ちになる。そのため、実情を読者に紹介しようという著者の配慮がいきとどいているのである。
本書に通底しているのは、著者宮崎先生のやや諧謔味を帯びた軽妙な文章である。つねに視線は現代から伸びていて、過去にはまりこむということがない。さりとて、過去を蔑むことも現代を自嘲することもない。シニカルさの中の優しさが読んでいて心地よい。
通読して思ったことは、「四書五経」を重視するあまり、実学を省みなかったために清国は滅んだが、しかし、それに学んだ近代日本は逆に実学重視のあまり、今だプリンシプルが欠如しているのではないか?という疑問である。大学では人文系学部より研究が実利に結びつく理工系学部が幅をきかせ、一方安部首相の愛読書は未だに吉田松陰というのはどういうものだろうか。
ところで、宮崎市定『科挙』にはもうひとつ戦中に書かれ、昭和21年に出版された版があり、高島俊男氏はこちらを推薦している。現在は、講談社東洋文庫または『宮崎市定全集』に『科挙史』の名前で収録されている。本書を読了した方は、そちらに挑戦してはいかがだろうか。