歴史的名著にして、60年前の著作とは思えない読みやすさと面白さ。
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本書を読んで大満足だ。清の全盛期とされる康熙帝や乾隆帝の時代ですら、儒家的発想で人は選ぶが後はお前に任せた式の統治なので、官僚組織の肥大化を免れなかった。それに対し、雍正帝は独裁君主たることを徹底し、特に地方の実情を把握するために、全地方官が皇帝に一種の親展状を出し、帝自ら朱筆を加えて返答する秘密の情報網を作り、地方政治まで指導した。そのやり取りの一部が出版されたおかげで、歯に衣着せぬ帝の肉声が残った。これが抜群に面白い。それでも全官僚を制御できなかったのだから、いつ、どの国でも官僚は頭の痛い問題だ。
また、自分以外の者はすべて臣下たることを要求し、兄弟さえ迫害した。これは満州氏族集団の長よりも全中国の独裁君主たらんとしたためだが、そういう歴史の流れもわかる。そして、著者の文章は読みやすく、とても60年前の著作とは思えない。
「雍正しゅ批諭旨解題」も併載されているが、これは上記内容を研究者向けに書いたもの。「雍正帝」を補完し、読み難くない。清朝初期の歴史を、個体発生が系統発生を繰り返すことになぞらえる発想が目を惹く。
独裁君主制の理想と限界
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清朝最盛期とされる三代130年余りの、ほぼ真ん中13年間に君臨した雍正帝の気質、言行、治績を詳述した書。
康熙帝と乾隆帝は治世が長く、外征の功績も多いのに比べ、雍正帝の治績は、軍機処設置と文字の獄くらいしか思い浮かびませんでした。
本書を読むと、雍正帝は部屋住みが長くかなり辛酸をなめてきた人で、その間に溜めてきたエネルギーを皇帝になってから政治に注いだ人物であることが分かります。
それにしても、この時代に通信添削(もちろん添削する方です。)をしていたとは。しかも皇帝が。そしてそのやり様が完璧主義であり、不正や怠惰には容赦のない叱責・厳罰で臨み、功績を挙げたものには相応の処遇を行う、信賞必罰をほぼ貫徹したもの。名君であったのは確かでしょう。
本書のまとめ部分では、皇帝独裁の限界について言及しています。その中で、一人の人間が皇帝として、政治を行える限界は精神的・肉体的にも13年程度、また、官僚機構の不満を押さえられるのも13年程度と指摘しており、これは妥当だと思います。地方官の報告書には、逐一目を通して自ら朱筆で添削し、中央朝廷のみならず、地方の実情にも目を配り、適材適所の人材配置に努めるといった、身を削るような働きぶり。そのためか、雍正帝はわずか13年の在位で亡くなります。
彼の政務は、あまりにも極端なやり方でした。また、300年も昔の、しかも異国のものです。しかし、君主独裁(≒政治主導)で国を治めるには、非凡な知性・精神力・耐久力が必要であり、またそのような人であったとしても、命がけの仕事であることが分かります。そして、そのようなやり方には、やはり限界があるのだとつくづく感じました。
官僚機構をうまく使いこなす方法を確立せねば、安定した長期にわたる政治はできない、このことが、現代にも通用することを示唆する一冊であると私は思います。
余談ではありますが、雍正帝と同等に評価される人物として、本書ではローマ皇帝ハドリアヌスが出てきます。私は評価はさておき、似た気質の人物を挙げよと言われれば、ローマ皇帝ティベリウスと江戸時代末期の大老・井伊直弼を思い浮かべますが、みなさんはどうでしょうか。
著者を魅了した雍正帝
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宮崎先生の本を選んでまず外れたことがないのだが、この本もまた実に面白い本だ。その理由の一端が解説に書かれてあって、著者の恩師の矢野仁一氏の長寿の秘訣を、面白い、面白いという言葉を連発して研究を続けた点に求めていて、この恩師の研究姿勢に共鳴して、著者も面白く、楽しみながら筆を運んでいたからだろうと。
著者が雍正帝研究に夢中になって「雍正しゅ批諭旨」を読み耽り、その後同志を募って毎週金曜日の午後を原文購読の時間に当てる会を8年間続けたことを「雍正しゅ批諭旨解題」の最初の部分で述べているが、これは「雍正しゅ批諭旨」自体がよほど面白い書物であり、そうでもなかったらこんなに熱心にやれるものではないとまで書いている。
雍正帝は常に官僚組織と戦って独裁君主制を確立したわけだが、そこには単なる天子の権力としての畏怖だけではなく、策略、準備、そして根気と誠意が必要であったと著者は書いている。しかし雍正帝の涙ぐましい努力もそれが独裁制ゆえ独裁制を信頼する民衆が独裁制でなければ治まらないように方向付けられてしまうという悲しむべき結果も生んでしまった。著者は雍正帝の政治を善意にあふれた悪意の政治と結ぶ。
清朝の知られざる独裁君主
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中国研究の第一人者宮崎市定が、一九五〇年五十歳のときに世に問うた評伝である。戦後の二十年間に上梓した本はこの「雍正帝」と「科挙−中国の試験地獄」の二冊だけだという。(定年退官後に再度執筆活動を行っている。)
内閣直属の国策機関である東亜研究所から京都大学の東洋史研究室に委託事業の依頼があった。宮崎に委託された研究題目は「清朝官制と官吏登用制度」や「清朝の支那統治策」であった、このことが宮崎を清朝史研究の道に引きこむに至ったと、解説には書かれている。
なるほど本書は雍正帝のユニークな統治策があますところなく伝えられており、氏が相当長期にわたって清朝史の研究に取り組んだかがよくわかる。「雍正帝の独裁政治は、異民族の帝王の手になったにもかかわらず、それは従来の中国出身帝王すらも到底及ばないほどの高度に到達した。恐らく独裁政治という枠内においては、これほど発達した形式は他に一寸類がないであろうと思われる。」というのが氏の雍正帝時代への評価である。一方、「雍正帝流儀の政治方法はせいぜい十三年ぐらいが有効の最大限ではなかったかと思われる。」とも、最終章「独裁政治の限界」で論じている。「天下の政治のために十三年一日の如く働いて働き通した」雍正帝の様子がイメージできるよう多くのエピソードも用意されている。エピソードと氏の卓見が相まった完成度の高い評伝であると思う。
『雍正帝』成立史ー本をメタ的に読む
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本編ももちろん抜群に面白いのだが、それに加えて、巻末に収録されている「雍正帝朱批諭旨解題」と礪波護氏の「解説」によって本書の成立事情が明らかにされる。その辺りもまた、面白かった。
宮崎市定氏といえば、いわずと知れた中国史の大家であるが、留学先として指定されたのはフランスであった。その後、中国にも行けるはずだったのだが、満州事変の勃発により(!)お流れになってしまった。
帰国した宮崎氏は政府から清朝の中国統治策についての研究を命ぜられる。米国は日本統治のために日本文化を理解する必要を感じ、ルース・ベネディクトに研究を命じ『菊と刀』を執筆させたが、日本政府には、そういう発想はないと思っていた。ところが、満州事変当時にそのような研究を命じていたということに驚きを覚えた。
氏がまず史料として用いたのは編年体の歴史書である『東華録』であった。ところがこれを読んでいると雍正帝の時代だけ叙述が生き生きとしている。そのため、何かタネ本があるのではと考え、史料を渉猟するうちに京大文学部の書庫に眠っていた『雍正帝朱批諭旨』と出会う。
これは雍正帝と官僚との往復信書であり、この中で雍正帝は皇帝自ら官僚を叱咤し、罵倒し、誉めそやし、時には自らの過ちを認めたりしている。極めて生臭い史料である。
しかし、『雍正帝』はこの史料のみによって成ったものではない。本書の中でも極めて印象深い「キリストの誓い」の章はキリスト教宣教師の書簡集に拠ったという。これは氏が留学先のフランスで購入したものだという。
歴史家と史料との出会いは、まさに一期一会。そんなことを感じさせられた。