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私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))

価格: ¥570
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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百人斬り論争のために無理して書いた日本軍論 ★★☆☆☆
山本七平がなぜ読まれるかといえば、誰もが受け入れられるような結論、耳に心地よい結論しか用意していないからである。例えば日本軍はこんなにも無思慮だったから戦争に負けたとか、あるいは日本人のここが悪い、あそこが悪いという、日本人論の類である。ここが悪い、あそこが悪かったというときにいろんな表情で嘆息したり、怒ったりしてみせる、そこが彼の文章の見せ所と言える。

結論は決まっているのであるから、本来、大した証明とか論述は必要がない。それでは面白くないので、自らの戦争体験からいろいろな「説明概念」を作ってはそれを通して、証明や解読をしてみせる。この説明概念が一見独特かつ難解で、それゆえに深い真理を語っているように読者を錯覚させるのが人気のもとである。ただし、この説明概念は汎用性がなく、論理的な発展というものはない。言ってみれば話の小道具に過ぎない。

この著作は「百人斬り競争」に関する論争をきっかけとして書かれたものである。朝日新聞に掲載された「中国の旅」の百人斬り競争に対して山本がイザヤ・ベンダサンの名で批判した。ところが本多勝一が新聞の元記事や証言を挙げて反論した。窮地に陥った山本は自分の戦争体験を基に反論を試みようとしたが、フィリピンでの戦争体験を語るのにイザヤ・ベンダサンのままでは都合が悪いので、ついに仮面を脱いで山本七平の名前での反論に及んだものらしい。本文の中で、山本が「ベンダサンから手紙をもらって」と書いてある部分など今となっては噴飯ものである。

本多が百人斬りの直接の資料をもとに反論したのに対し、山本は生の資料を持っていない。そもそも戦争体験者からの発言を行うとしても、日中戦争初期と大戦末期のフィリピン戦線では戦争の状況も日本軍の戦い方も相当異なり、有効な反論はほとんどない。そこで、「日本軍の特質はどうである」「だから、二少尉や記者の行動はこうだと判断される」という論立てになるのだが、間接的であり、憶測に頼ることになる。そのために日本人論、軍隊論、百人斬り論争の三つが入り交じった不思議な書物ができあがった。実際にも論旨はあちらに移り、こちらに飛びして大変読みにくい。山本の日本軍論を読むつもりであれば他書によるほうがよい。

「百人斬りはなかった」という証明は二少尉の「職務論」と「日本刀で斬れるのは三人が精々」という二点である。しかし、本多が主張したのは白兵戦での百人斬りではなく、据えもの斬り競争であるから「職務」は関係ない。また、日本刀が斬れなかったという山本の体験談は、山本の刀が目釘の腐った欠陥品であったためであった。本多が反証材料とした成瀬(刀剣の専門家)の著書から、斬れないという部分だけを意図的に引用してきたが、この本の趣旨は数十人斬っても刀は傷まないと書いてあるのである。また、新聞記事を読んで記者の創作であると「証明」したと称しているが、実は思いこみに始まって思いこみに終わっているものである。
戦前・戦後通じて日本人が病む短絡的・発作的迎合症の危険性を指弾する力作 ★★★★★
南京事件の「百人切り競争」について、山本七平氏自身のフィリピンでの戦争体験から得た当時の日本軍、軍属、マスコミ、国民感をなぞりつつその真偽を深く考察する力作だと思う。
そこで抉り出されてくるものは、戦前・戦後を通じて日本人の持病と思われる、「恐怖」から生じる短絡的・発作的な「一億総扇動・迎合性」とでもいうべき空気、そしてそこから生じるご都合主義的な1.絶対正義⇔絶対悪という単純な構図の創作→事実把握力の麻痺、2.事態の変化に応じて容易に生じる「正義」⇔「悪」への極端な構図の変態性であると思う。それが無害ならそれは国民性の一つとしてそれでよいのかもしれない。しかし、問題なのは、時にそれが取り返しがつかない極めて残酷な結果を生じる、ということなのであろう。にもかかわらず、その単純な善悪構図に胡坐をかいて「我こそは善人なり」と叫び続ける商業主義的な扇動者に対して、著者は激しく憎みつつ、しかし、本書では静かにあくまで理論的に反撃を加えていく。
未だに論争が続いているように見える「百人切り競争」はさて置き、肯定派は山本氏を「詐欺師」「右翼」等と激しく罵る。だが、少なくとも氏が俗にいう「右翼」でないことは、『現人神の創作者達』等の同氏の他の著書を読めば明らかだろう。山本氏程、「右翼」「アカ」(これは死語か)といった短絡的なレッテル張りと扇動・迎合を嫌った人はいないと思う。
今後の日本人の思考にも強い警鐘を鳴らし続ける著作として強くお勧めしたい。
面白い、しかしやるせない ★★★★★
面白いです。しかし、やるせなさを同時に強く感じてしまいます。面白さは、その鋭い論理と観察眼の存在で、やるせなさは生々しく語られた軍隊の実態を眼のあたりにしてしまうことなのだと思います。本書の中で軍隊の実態は、この論理と観察眼のもとに次々と「虚構」と化していきます。この「虚構」の論理が面白く、しかし同時にどうしようもなくやるせない実態を明らかにしていきます。

日本の軍人は日本軍なるものの実情を本当に見る勇気がなかった、と著者は語っています。彼らの念頭に会ったのは「トッツク」(上からの私的制裁。叱咤と罵倒、暴力)と「イロケ」(上への媚び、へつらい)が生み出す虚構の世界であり、著者は「日本を滅ぼした原因の一つはこれだと思っている」と言明しています。

日本軍は満足な食料も武器も供給できず、比島では現地の人間や文化と摩擦ばかりを起こし、余りに非現実的な命令を繰り返し、この実態の中で兵士は次々と倒れていきます。「虚構」とはこうも悲惨なのか、「虚構」を支えるとはこういうことなのか、こうした問題意識をひとりひとりが持つべき、と理性的に頭は考えますが、読み終えたとき、もう一度、読み返す気力は僕にはありませんでした。

戦争の実態と「百人斬り競争」記事の背景 ★★★★★
著者の本書執筆の動機の一つは、昭和12年の東京日々新聞の「百人斬り競争」と言う記事が、戦後30年以上経っても断固たる事実として通用したことである。この「虚報」記事をモティーフに、日本軍の実態を明らかにしながら「虚報」が生まれた背景を分析しつつ、読者に戦争の追体験を迫るのが本書である。

戦争映画の戦闘シーンから戦争をイメージしてしまう人は多いと思うが、それは戦争のほんの一場面でしかない。戦闘行為自体よりも、劣悪な環境下での生活、物資の調達や運搬、様々な害虫や病気などの描写から厭戦気分が湧いてくる。そして、そう言う状況下ではそう言う状況下なりの心理状態に陥るので、それをわきまえないと戦争の本質を見誤る危険性があることも本書で指摘されている。そしてそれは「百人斬り競争」と言う記事の背景に繋がるのである。
(下巻のレビューに続く)

日本人の本性は戦前も戦後もほとんど変わっていない ★★★★★
「太平洋戦争とは、軍部の暴走に無辜の国民が巻き込まれた悲劇であった」と長らく聞かされてきた気がするが、
そうではなかった。その展開を影に日なたに支えた民衆が重層的に存在した。ほとんどの民衆は黒でもなく、でも白でもなく
グレーだったのである。

そういう状況に置かれたときに「貴方」はどういう行動を取るのか、評論家となるのか、傍観者となるのか、扇動者となるのか、
それで利権を得るのか、と本書はグサグサと問いかけてくる。貴方はどういう人間か、と。
「従軍してトクダネがないのも上司に顔が立たないから、百人斬り競争の記事を捏造した」

「リスクや論理よりも、仲間うちの和気あいあいを優先した」
「上司にええかっこをするために部下に意味のない重労働を強いた」
「強弁で相手をねじふせ、私的制裁」
「員数さえ合っていればいい、内容はなんであれ」-----

著者が描写する軍隊のメンタリティは、全く現在の我々のものである。痛いほどに。戦前の日本人が無知で戦後の日本人は開明なのでもなく、戦前の日本人は気骨があり戦後に倫理が失われたのでもない。
日本人の本性は戦前も戦後もほとんど変わってないのである。
文中、著者とベンダサン氏とのやりとりという、奇怪な記述があるが、それを差し引いてでも、

著者の一連の敗因分析の本は、現代の日本人が読むべき本だと痛感する。