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ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本
ブランド: 角川書店
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秀逸だけど自虐的 ★★★★☆
『祖国解放の独立運動を志しながら日本に翻弄され、荻窪で孤独に最期を迎えたベトナムのラストエンペラー』というだけで、もうノンフィクションとして成立しそうだ。単に興味深い人生というだけでなく、日本人として知らなければいけない史実という気さえする。

ラストエンペラーは、革命家としては若すぎたし、準備も周到ではなかった。日本に頼りすぎた嫌いもある。運も悪かった。不条理な環境の中でもなお正直すぎたために、あまりにも孤独であった。そして没後は日本人だけではなく、ベトナム人からも忘れ去られようとしている。そんな数奇な生涯を辿った秀逸なノンフィクションである。

秀逸なノンフィクションなのだが、少し自虐的過ぎるのではないかと思う点がある。

それは日本に対する自虐。『個々の日本人は優しいのに、体制としての日本は蛮行を繰り返す。なのに何故、ラストエンペラーも現代のベトナム人も日本を手本にしたがるのだろうか?』という疑問には素直に首肯できない。

蛮行を繰返しているのは日本だけじゃない。何もアメリカも蛮行を繰返しているから日本を肯定しようというのではない。過去の歴史をみても、国家も個々の国民も野蛮極まりない国なんて存在しないだろう。国家なんてそんなもんだ。それに、経済成長が国家発展の全てとは言わないが、大きな目標の一つであることは間違いないだろう。ベトナム人が日本のように産業を興し、発展したいと思っても不思議ではない。多くの人が目を向けないことに疑問を持つことは重要だが、だからといって、自己否定して下ばかり向いたって仕方がない。
こんな 番組見てみたい! ★★★★☆
森達也氏の著書はよく読みますが、これは良質のTVドキュメントを見たような気にさせる本でした。確かにTV番組はくだらない!では何故そんなバカ番組ばかりになるのか?それは視聴者が望んでいるからに他なりません。俺もジャッカスやビーバス&バッドヘッド、サウスパークのようなおバカ番組は大好きですが、日本のは程度が低すぎる!くだらなさの程度も低い、中途半端なものばかりですわ。ピリ辛テイストのかけらもない。  これじゃぁTVはケーブルでディスカバリーとかMTVとかの米製番組を見るしかなくなってしまう。
 綿井健陽・吉岡逸夫といった見るに耐える映像を撮る監督はいるにもかかわらず、しょうもない巨大メディアの意向で世論操作されるような番組しか流れないようになってしまった。
 ニュースショーを「事実を流す番組ではない」と分かって見ている人はどれぐらいいるのだろうか? そんな人ははなから番組見ねぇか。 
革命気分に流された深窓の王子。 ★★★☆☆
ベトナムがフランス領だった頃、ベトナム独立を目指して日本を訪れた王子がいた。
日本はベトナム独立を援助せず、王子を導いた革命家は志ならず故国で亡くなり、王子は妻子と会えないまま貧困の中、日本で客死する。
こんな人がいたなんて、この本を読むまで知らなかった。

王子は、訪日して数十年たっても日本語も碌に話せない、知り合いも作らない、学校に行っても怠慢で退学になる、など気合の入らないこと甚だしい。しかし数少ない知己の犬養が首相着任の折には新生ベトナムの旗を持って訪ねたのだから、目的を忘れたわけではないらしい。棚ボタを待っていた?
受動的で、超のん気で、気力に欠ける。この性格的特徴は、清国のラストエンペラー溥儀にも共通するように思う。
しかし革命軍にしても、錦の御旗である王子様を実務で使う予定などないだろうに、参謀もつけずに異国の地に放置したとは解せない。

紙数が多い割に情報量が乏しい、同じ内容を言葉を換えて繰り返す、事実の量よりもそれを埋める空想の量の方が多い、オレ様な語りっぷりが鼻につく、など文章は嫌いだが、この本をきっかけに近代ベトナム史に興味を持てたのは◎。

何かが・・・ ★★★★☆
確かに面白い。よく調べてあるし、黒竜会の動きなども勉強になった。
大宅壮一賞くらい取っても良かったと思う。

しかし、何かが欠けている。それは、クォン・デが政治家としては無能だったこと、そして「王族」だというだけで民族解放の先頭に立つ時代は、二十世紀始めにはもう終わり始めていたのだという認識が、この著者にしては、欠けているのだ。私たちは、「王族」の哀れな末路に共感することを、自らに禁じるべきではないのか?

死ぬまで、そして死んでも孤独な男の生涯 ★★★★★
表題は「もう一人のラストエンペラー」である。
なぜ、大日本帝国は満州国を建国し、ベトナムは見放したのか。
当時の国際情勢から見れば、当然の帰結ではある。
しかし、維新後の日本にはアジアの民族の解放という理念が強く意識された時代があった。そして列強としての立場からその理念は形骸化されていくのであるが。

ここにクォン・デという日本に憧れ、日本に期待し、日本に翻弄される貴公子が登場する。
クォン・デの生涯こそが維新後の日本が歩んだ道を反照している。

日本で忘れ去られただけでなく、祖国ベトナムでも救国の英雄から外国勢力への依存が強すぎる姿勢への批判を受け、次第に忘れ去られた存在になりつつあるクォン・デ。南北分断からアメリカとの戦争といった外部勢力に翻弄されるベトナムの軌跡と軌を一にする。
そこには大国の都合に翻弄される小国の悲哀がある。

ドキュメンタリー作家として有名な著者らしく、本書もドキュメンタリーの要素が濃厚である。

「問われるべきは事実があったかどうかではなく、僕が提示した世界観なのだ」

著者の思いはここに尽きるだろう。

著者にとってはアジア近代史の空白を埋めるとか、日本とベトナムのよりよい関係のためなどといった動機は重要でない。著者の提示する世界観、他の映像作品や活字作品に通底する世界観を是非今後も追求していってもらいたい。