全てにストレスのない自然な流れが感じられる新タイプの第9。
★★★★★
しょっばなから氏の気合の入ったと思われる床に足を踏み打つ音が響く。恐らく、氏が構想を暖め考え抜いた末の第9の演奏と印象する。旋律といい、間のとり方といい、楽器の使い方といい、
今まで聴けたことのない音がいろいろと聴えてくるが、しかし不思議と異和感もなく楽しみながら鑑賞できる。終楽章の最初のバリトンのソロのフレーズが伸びやかで長く、ストレスなく開放的に
唄われ出すのには驚かされ新鮮である。その後、合唱もスローテンポで制御される。歌手たちの間に今までのスピード感が頭をもたげ、ついつい早く走り出しそうになるのを、ブレーキをかける
意味合いか、氏のタクトが譜面台をカチカチカチ・・・と叩いているのが聴えてくる。曲が終って、聴衆の拍手は盛大だ。ただ、録音状態に少し難があるのが残念。現代音楽に、果敢に取り組んで
きた氏にとって、このような第9の解釈は、ある意味で不思議ではないと考える。従来の型にはまらない百白い第9である。
氏は、お祭り騒ぎ的な第9が嫌いだったらしい。そのお祭り騒ぎ的な第9に別れを告げた演奏と受け止められるものであり、私自身このような演奏に接してみて大いに共感を覚えるようになった。
ケーゲルはやがて・・・。
★★★★☆
☆4つは大マケかもしれないが、個性的であることに疑いはなく、持っていてもよい1枚。
ファイナーレには祝祭的なところがまるでない。作品が作品だけに、こんな風に演奏するのは、かえって難しいのではなかろうか。脱力とかそういうものじゃない。しらけややる気がないというのでもない。
これは恨みではないか。しかも、完全に諦めきった芸術至上主義的な怨念ではないのか?
ベートーヴェンの『歓喜』なるものの永遠に絵空事を免れない素晴らしさ!!! とすると、この第9は、指揮者ケーゲルのベートーヴェンへの復讐、世間やポストがらみのあれこれも綯い交ぜになった「世界」への<否=ノン>。あるいは、社会主義者ケーゲルの怒りかもしれない。1987年のライブだから、この後、2年すればベルリンの壁は崩れ、追ってソビエトユニオンは国家消滅と相成る。
映画『グッドバイ、レーニン!』では、「敬虔な」社会主義者の母親が病気で倒れて意識を失っている最中に、ベルリンの壁が崩壊してしまう。気を取り戻した母親にとって、ショックを与えるのが一番イケナイと医者に言われた息子(主人公)は、壁崩壊とそれに伴う西側文明の流入を母の目から隠そうと奮闘する。息子はマクドナルド(コカコーラ?)の看板を隠し、偽のテレビ番組を流す。しかし、母はわかっていたのだ・・・。そして、やがて息を引き取ってゆく。
87年にライプチヒで鳴り響く第9!! それは社会主義者ケーゲルにとって、どんな苦味を持っていたのか? ケーゲルはわかっていたのだ。壁がまもなく崩壊すること。東側ですらうまく立ち回ったためしのない自分が、これからどうなるのかということを・・・。
心からオススメできるディスクでは決してないが、これを聴き逃すのも結構惜しいことだ。