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ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」 ほか

価格: ¥2,888
カテゴリ: CD
ブランド: ALTUS
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大袈裟なライナーノーツ解説 ★★☆☆☆
ヘルベルト・ケーゲルの1989年来日公演。於サントリーホール。

なかなか聴かせる好演であることは間違いない。形こそ崩れないが烈しい気迫が漲る『運命』である。
運命が戸を叩くとはかくもあろう。

ところが、ラーナーノーツの許光俊の文章が大袈裟過ぎるのである。
「フルトヴェングラー以来の、歓喜への信頼に満ちた・・・・・演奏である」というのは、贔屓の引き倒しに近い。妄言である。およそ演奏のスタンスが違う。ケーゲルは何やかんや言っても緻密に計算する指揮者であり、なるほど普段よりは羽目を外しているかもしれないが、やはり十分に考え抜かれた頭の演奏だ。

フルトヴェングラーの演奏、例えば1947年のライヴなどは、考え抜いた末にそうした頭の演奏を一旦無にした後に新たに創造された音楽なのである。まったく別次元であり、どちらが優れているいう比較すら絶する。
同じ頭の演奏でも、マニアックなまでの構築性が醸し出す厳しい造形と威容、格調の高さを実現したクレンペラーのディスクのほうが、一段階も二段階も上であろう。

アンコールとしてカップリングされたバッハの「アリア」はもちろん美しいが、内声部の完璧な肉付けで人間の声(女声)を幻聴させるようなレーグナー&読売日本響の演奏には随分見劣りする(あれは確か第7ライブ盤のアンコール曲として入っていたものだ。もう流通していないかな)。
よって、「存在の悲しみについて語っている」というライナーの文章はここでも大袈裟!!

1枚のライブ盤としては、★3つ半か4つの好演だが、このあまりな誇大宣伝と売らんかなの文章に辟易して★2つ。ケーゲル信者か許信者だけのプライヴェート盤じゃないんだからな。こういうのを恣意的な文章と言う。
肺腑を抉るような・・・ ★★★★★
としかいいようのない演奏。かつて某評論家が「二人のヘルベルト」と揶揄し、「そのうち一人はいつか忘れ去られる」とまで評されたが果たしてそれは正しかったのかどうか。
それはこのディスクを聴き、許氏のライナーを読んで頂ければ分かる。少なくとも私はこれほどまでにデフォルメされていながら、違和感なく感情移入できる「運命」を聴いたことはなかった。
そしてアンコールの「エア」に至っては、演奏会当日観客席にいなくてよかった、とすら思う。多分椅子から立ち上がれなくなっていただろうから。
ケーゲルとはナニモノ???? ★★★★☆
ケーゲルとは、一言で表現できない指揮者であります。
この『運命』にしても、Laserlight から出ているベートーヴェンの交響曲全集の中の『運命』とは、とても同じ指揮者とは思えない。 共通して言えることは「表現力の幅が,極端に広くて一言では批評できない」ってことくらいだろうか? 双方とも素晴らしいのではあるが、このライブ盤は、それこそ唯一無比である。ケーゲルが、これほどまでに、これ見よがしな自己主張した演奏が、他にあっただろうか? それを嫌味と感じるリスナーもいるかもしれないと思い、個人的には星5つなのだが、評価をひとつ落とした。
アリアについては、これこそはケーゲルにしか演奏できないアリアであり、これぞケーゲル節!と言える。このアリアにハマった方には、まずはケーゲルの指揮で, グリーグの「過ぎた春」の試聴をお薦めしたい。
アリア・・・ ★★★★★
このケーゲルの演奏は勿論、運命も心をえぐられる程のものなのだが、やはりこのCDの存在意義はバッハのアリアであろう。この演奏を聴いて感動出来ない人は精神を病んでいるとしか云えない演奏である。逆に余りこの曲を聴きすぎるとケーゲルが冥土から誘って来るが如きの心境となってしまうので気をつけた方がいいでしょう。鬱病が原因でピストル自殺してしまったケーゲルの最後の生への雄叫びを聴くが良い。