畏れ入る
★★★★★
辛いエピソードがほとんどなのに、著者の語り口は時に軽妙といえるほどのユーモアを湛えている。僕にとってもこの事が最も印象に残った。つまり、彼女の心はどれ程ひどい現実を見つめても、決してある種の軽やかさと言うか、物事を楽しむ心を失わなかったのだ。この事こそ僕が彼女に最も好感を寄せる点である。しかし無論、言論でチェチェンの現状を変えようと奮闘する彼女の情熱に圧倒されなかったわけではない。この情熱のつよさが、本書を極めて読み甲斐のあるものにしている。この本の魅力は、著者があくまで「人間」として語っているところにあると思う。また読み返したいと思うのだが、それは一つには、読後感が意外に爽やかだからだ。人間の嫌な面ばかりを見せられる本ではなく、同じくらい強烈に、試練にさらされても思いやりを決して失わなかった素晴らしい人々の姿が残るように描かれている。
現場からこそ見える真実
★★★★☆
チェチェン問題の通史ではない。いつ、どのように始まり、誰によってどこでどう戦われ、どれだけの被害が出たのか、全体像が見えず、日本の新聞、書籍の表現に慣れた人間にとってはすんなりと頭に入ってこない。それは、翻訳のせいというより、欧米の新聞記事によくある、分かりやすさよりも、場面を積み重ねる描写に徹しているからだろう。それでも最後まで読み終えた。まさに事実の重みとしかいいようがない。そして、この本・文章の「分かりにくさ」は、チェチェンで戦争に巻き込まれている当事者の市民が感じているだろう、「なぜ戦争を『やめられない』のか、なぜ私たちはこんなに苦しまなければいけないのか」という「理解しがたさ」と共通しているのかもしれない。それはまさに、市民とともに現場に身を置いてこそ見える、戦争の真実の姿なのだろう。
受け入れられやすい見方と分かりやすい全体像を安易に示しがちな日本のメディアに身を置くものとして、ロシア人に「なぜそこまで書くのか」「ロシアの恥をさらすな」と罵声を浴びせられながら、現場に出向き、傷ついている者に寄り添って声を聞き続けた著者の姿勢は、多くのことを問いかけていると思う。
疲れました
★★★★☆
この翻訳者に訳されたのがこの本の悲劇と書き込んでいる人がいますが、まったく同感です。2回読んでも3回読んでも分からないところがある。鍛原多恵子さん訳にして欲しかった。
肌身に感じられるドキュメント
★★★★★
内容は全く固くない。文章から著者の憤りや驚き、正しさを求める熱さを感じる。人間として、母親として見過ごすことが出来ないという、彼女の意志が伝わってくる。
チェチェンを侵害する側のロシア人である著者を、酷い目にあったチェチェン人が信頼するのも当然だ。著者はチェチェンに暮らす普通の人々を訪ね、丁寧に話を聞き歩くがため、共に侮辱され時には共に地に伏せて砲弾をやり過ごすような目にも遭う。死者の遺体を大切に葬る習慣のあるチェチェン人たちが、罪もなく意味もなく連行され殺された家族の遺体を引き取るための身代金のため駆けずり回る。「(そんなに心配しなくてもいいよ)チェチェン人はしぶといんだから」と悲しむ著者を励ましたチェチェン人青年も殺されてしまった。
もっといろんな立場の人がこの本を読めばいいのになあ。でも、値段が高いし、なかなか書店に置いていない!
いまだに価値を持ち続けるルポルタージュの傑作
★★★★★
著者が危惧していたように、本書が世に出てから数年を経て、チェチェンの情勢はさらによくわからなくなってしまっている。
だから本書はいまだに、発刊からしばらく経っているとはいえ、非常に貴重な資料であり続けている。
著者はチェチェンに乗り込み、多くのチェチェン人の生の声を集めるだけでなく、官僚的で融通の利かない人間に食ってかかったり、廃墟に放置された老人の救出に当たるなど、「行動する」ジャーナリストでもあった。
そういった活動が政府の目障りになっており、現実になってしまった自身の暗殺を覚悟していたことは、本書の記述からも明らかだ。
だが彼女は、その行動を最後までやめなかった。
もっとも印象に残っているのは、彼女が乗り合わせたヘリが、ある事情からチェチェンではなく別の場所に降り立つシーンだ。
同乗していたロシア軍の軍人はチェチェンから一瞬でも解放されたことを大いに喜び、そこに居合わせた著者と奇妙な友情で結ばれる。
だがその後、その軍人はチェチェンで戦死し、著者は、自分の筆の力で戦争を止め、彼を助けられなかったことを悔やむ。
著者の人間性と、ジャーナリストとしての魂を感じさせられたシーンだった。
訳については、私は非常によい訳文だと思う。