グレタ・ガルボは本作と『椿姫』で続けてニューヨーク映画批評家賞の最優秀主演女優賞を受賞した。彼女の受賞は充分に納得がいく。95分間のデビッド・O・セルズニック制作のMGMの傑作はトルストイの長編小説を原作にしており、豪華な共演者陣に対しては公平を期しているといえない(とくにキティ役のモーリン・オサリバンがよい例だ。活発なイメージのオサリバンに責任があるのではない)。同様の傾向は、本作のクラレンス・ブラウン監督が以前ガルボを主演にして監督したサイレント映画『アンナ・カレーニナ(原題Love)』(1927年)にも当てはまっているが、本作のほうがより情熱的で流れるような映像である。ブラウンの演出は各シーンでも映画全体でも余計な力が入っていない。ガルボ扮するアンナが、一途な恋が悲劇に終わるのを最初のころに予感して静かに語る「遅すぎたのよ、遅すぎたのよ」というセリフは、破滅的な運命を実に見事に示している。だがフレドリック・マーチが演じるブロンスキーは、うっとうしくてこらえ性のない人物になっている。アンナの夫で出世第一の冷酷な男、カレーニンに扮したベイジル・ラスボーンはどう見てもミスキャストであり、同情すら覚える。それでも彼が人をそらさない俳優であるのは間違いない。(Richard T. Jameson, Amazon.com)
自殺シーンにびっくり
★★★★★
このころソフィーは文芸作品に結構ででますね。
本人がアンナカレーニアを昔から演じたいと言っていたので、夢がかなったのでしょう。
特に目線の演技、そして自殺する前の精神が破壊していく場面など凄い女優になったと思います。
お勧めですよ
ソフィー・マルソーのアンナもなかなかイイですよ。
★★★★☆
オードリー・へプバーン、ヴィヴィアン・リー等の大女優、トルストイ出生の地、ロシア本国でも国民的女優が演じていた事があるはずですが、ソフィ丸版もなかなかイイです。
特に劇中の、憂いと官能を滲ませたどこまでも深いその眼差しは、マルソー自身の(ズラウスキー監督との公私混同の生活による)人生経験や、アイドルから裸をさらして脱皮した女優人生がなければ現れない輝きを持っています。
アルフレッド・モリーナが冒頭出てきて、金髪の貴族令嬢に「ブ男」だからと振られ、しかし、彼女と後に結婚して子供を設け、と狂言回しにしては本筋を遮って出てくるな、と思ったらその正体がラストで明かされます。
ああ、あの人だったのね、と納得。彼の「人生とは・・・・」と語るモノローグが作品に風格を与えます。
傑作といえるかは分かりませんが、文芸映画が好きな人には全然オススメです。
ショーン・ビーンで見るなら彼がタイトルロールをやっている『チャタレイ夫人の恋人』(ケン・ラッセル監督)も合わせて見るといいかと思います。
マルソーの美しさが際立つ名作
★★★★☆
ロシアの王朝風なセットや大きなお屋敷など豪華なシーンが多く、見ごたえがあります。主役のマルソーとビーンの存在感は圧倒的です。火花の散るような演技。マルソーの演じる激しくも脆い女性アンナは彼女のハマリ役だと思いました。