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職業としての政治 (岩波文庫)

価格: ¥504
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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政治とは何か?を簡潔かつ的確に捉えている ★★★★★
あらゆる政治行動の原理は権力である。

政治とは何か?を古今東西からの知識を駆使し
簡潔かつ的確に捉えていると思います。

時折脱線しますが、世の中の真理をつく言葉が多いと感じます。
読み終わった後(たいして時間はかかりません)
自分の中で化学反応がおきた感じがします。
政治の本質を知りたくなった時に読む本 ★★★★★
 
 『官吏にとっては、自分の上級官庁が、(自分の意見具申にもかかわらず)自分には間違っていると思われる命令に固執する場合、それを命令者の責任において誠実かつ正確に(あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように)執行できることが名誉である。』

 『これに反して、政治指導者、したがって国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない。』

 

 政権交代をして数か月がたった。新たに政権をとった民主党は様々なマニュフェストを掲げているが、その中でもぜひ実現してほしい重要なものが「脱官僚」である。

 官僚はあくまでも「国民の下僕」であり、政治家が「国民の代表」である。

 官僚主導型の政治ではいろいろな方面への国民にとっては良くない癒着関係がどうしても出てきてしまう。

 官僚は特権のあるサラリーマンであり、普通に仕事をしていたらいきなりクビになることはない。しかし、政治家は選挙によって選ばれるので身分は保障されているわけではない。

 いまいちど官僚と政治家の関係が基本に戻ってほしいものである。 
「政治的関心」はそれだけではなんの役にも立たない ★★★★★
「倫理的に方向づけられたすべての行為は、根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうるということ、
すなわち『心情倫理的』に方向づけられている場合と、『責任倫理的』に方向づけられている場合があるということである」(P89)

 と、いう有名な一文のみを暗記するだけで満足し、しばらくこの本を遠ざけていた。
それは、なんとなくこういった「政治学の古典的名著」を「この時代に」読む「政治的関心の高い青年」たちに距離を感じていたからだ。
 現在のそしてかつての政治青年たちは、「政治に関心を持っている」と主張する。それは結構なことだ。
だが、そのあと「君たちももっと政治に関心を持つべきだ。どうして最近の若者は政治に関心がないのだ」とそういう主張が続けば、どうしても目をそむけたくなる。
 私たち全員が主権者であるという面からみれば、この主張は正しいかもしれない。
しかし、私が違和感を抱くのは、政治青年たち特有の、「政治に関心を持っていること」それ自体への無根拠な誇り、
そしてその裏返しであるところの、政治的無関心層への心情的な怒りであり軽蔑に対してである。
 その対象が「政治」であるというだけの理由で、自分の興味関心に絶対の価値を置き、それに満足する。
それは、身近で個人的な問題のみに絶対の価値を置き、社会的事柄になんの関心を示さない若者の利己心と、
「心情」の面において何ひとつ変わらないではないのではないのだろうか。

 こんなことを考えながら、久しぶりに本書を開いた。
すると、有名な一文の後に展開される、「政治的心情」へのヴェーバーの批判の今日性に驚かされた。

「突然心情倫理家が輩出して、
『愚かで卑俗なのは世間であって私ではない。こうなった責任は私にではなく他人にある。
私は彼らのために働き、彼らの愚かさ、卑俗さを拒絶するであろう』
という合言葉をわがもの顔に振り回す場合、私ははっきり申し上げる。
私はこの心情倫理の背後にあるものの内容的な重みを問題にするね。
そしてこれに対する私の印象といえば、自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンチックな感動に酔いしれたほら吹きというところだ、と。」(P102)
「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世界がー自分の立場から見てーどんなに愚かであっても決して挫けない人間。
そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」(P106)

 政治が魔力を持つのはその権力性や暴力性からだけではない。
社会のため、他者のため、という行為の特色は、簡単に個人のロマンチックな感動や誇りを求める、利己心と呼応する。
 ヴェーバーがこう警告した第一次世界大戦の直後のように、
政権交代やパラダイム変化が勃発する時代にはこういった利己心を「政治への関心」へ振り分ける政治青年が多数登場する。
 政権交代に端を発する『政治の季節』を迎えつつある2009年の日本で、
安易に政治青年となる前に、ヴェーバーが訴える「政治に関与する覚悟」「心情と責任の峻別」を静かにかみしめたい。 
正当な暴力という悪魔の力と関係を結ぶ職業である政治家には、情熱・判断力・忍耐力・継続力が求められる ★★★★★
「国家とは、ある一定の領域の内部で・・正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体であるp.9」「およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、・・すべての暴力の中に身を潜めている悪p.99魔の力と関係を結ぶのであるp.100」「情熱は、それが「仕事」への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規律となった時に、はじめて政治家を作り出す。そしてそのためには、判断力・・が必要である。・・事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。p.78」「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、硬い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。p.105」「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が・・どんなに愚かであり卑俗であっても、p.105断じて挫けない人間。・・そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。p.106」国家の本質と有るべき政治家の姿を描きだすともに、リーダーシップの本質をも指摘しており、全ての人に有益な書である。
政治にたずさわる者への痛烈な批判 ★★★★★
 政治にたずさわる者への痛烈な批判であり、きびしくストレートな提言でもある。
 そもそも政治にたずさわろうとする人「政治家」になりたいと思う人・人物をよく
とらえている。
 そして、そんな政治家をあがめたてまつっている人々への批判の書でもある。