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25歳の艦長海戦記―駆逐艦「天津風」かく戦えり (光人社NF文庫)

価格: ¥600
カテゴリ: 文庫
ブランド: 光人社
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なぜソロモンが前線だったのか ★★★☆☆
若輩者が次々に部下を統率する戦争末期(20代の戦隊長、飛行隊長、艦長)などにあって部下を統率するにはやはり信頼が重要だと感じました。
b-25の編隊空襲に対抗する見事な弾幕を張る機銃手、砲雷長は職人でした。
アメリカ軍もこの駆逐艦は簡単に撃沈できると思ったのかもしれませんが、天津風一同の頑強なる抵抗に「なんだこの駆逐艦は!」と驚いたのではないでしょうか。(彼らは興味を持ったのか天津風は度重なる偵察を受ける。)陸に上がって陸戦隊をやる海軍は残念なことなのかも知れません。
南京虐殺は戦時のアメリカ軍の日本国民への純然たる軍事心理作戦ですから誤解なさらぬようにしていただきたいと森田氏に申し上げたいです。
組織をまとめるということ ★★★★★
森田艦長は弱冠25歳にて本艦の艦長を命ぜられたわけだが、着任にあたり、乗組員に「自分は若輩にて不安かもsれないが、開戦当初より、前線で戦ってきており、前任の田中艦長より18期も下であるが、なんら心配はない」と訓示し、冒頭からこの200名の組織をまとめることに苦心している。
幸いというか不幸にしてというか、天津風は激しい攻撃を幾たびも受け、危機に見舞われるのだが、こうしたタイミングで全員が一致して事にあたる、という姿勢が非常に重要だ。乗組員は森田氏のもと、団結して働く。チームワークが上手くいったのは、日頃からの森田氏の取組み姿勢や行動を皆が「信頼していた」からではないだろうか。
「大和」特攻以上に困難だった闘いを描いた貴重な戦記 ★★★★★
「大和」特攻と同時期に、南シナ海を北上し日本本土を目指した「ヒ88丁船団」は、低速な輸送船団をこれまた低速の火力貧弱な小型艦艇で護衛するという、「大和」特攻よりもはるかに困難な条件を背負っていた。艦を沈めないことすら極めて困難な状況にあって、手負いの駆逐艦の指揮を取り中国沿岸まで到達させた、その艦長本人の貴重な戦記である。
「天津風」が加わった「ヒ88丁船団」については、海上護衛戦を扱う一部の専門書を除き、世人の知るところがほとんどなかった。だから、本書は単に異色の艦長記というだけでなく、太平洋戦争末期の海上護衛戦を扱った一次証言としても、非常に意義深いものである。
さらに言えば、第二次大戦で生き残った艦長たちは、著者を除きほぼ全員が終戦当時少佐以上の階級にあり、戦後60年を経てほとんどが鬼籍に入っている。その意味では、第二次大戦を扱った事実上最後の艦長記であり、本書の持つ価値は価格以上に重いと思われる。
私が敢えて「海戦記」でなく「戦記」と記したのは、著者の闘いが海上だけにとどまらず、「天津風」を失った後の第二部でも続いているからだ。一歩間違えれば士気喪失はおろか、部下や自身の生命すら危うい状況が続くなか、いかに部下を統率するか方策を練り実行するくだりは、著者の苦悩が言外ににじみ出ているようである。
私の肩には重すぎる ★★★★★
 25歳という若さで駆逐艦<天津風>の艦長となった森田氏の記録。二次対戦末期における日本の船団護衛・終戦後の武装解除などが、冷静な筆で記されている。
 今の自分とさほど歳の変わらぬ青年の肩にこれほど多くの物がかかっていたなどとは、読むまでまるで考えたこともなかった。果たして今の自分に彼ほどの決断が出来る物であろうか……