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特捜神話の終焉

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: 飛鳥新社
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電波も大概にしてください(笑) ★☆☆☆☆
突っ込み所満載のオモシロ本だが全部突っ込むとキリが無いので とりあえずライブドア弾圧(?)なるものについて触れることにする。

組合がたまたま(?)LD株を売って金が発生しLDFにそれが渡ったのであれば
それは親会社株式売却益であり結局LDの連結決算では資本として計上しなければならない。
ファンドの配当金と偽りLDの連結決算で経常利益にして発表するのは当然違法。
ファンドの配当金として経常利益にできるのは、自社と無関係な有価証券の場合である。
合法的に「自社株を売って儲ける」手法は存在しない。なぜならそれは株式会社の原則を根底から否定するものだからである。

買収される側の希望で現金買収したにもかかわらずそれを隠蔽して株式交換を発表・実行した、ということは、
等価交換が終了しているにもかかわらず余計な自社株を刷ってファンドにコッソリ入れてコッソリ売ったということになる。
しかも当時ファンドはLDと無関係な第三者を装っていた。つまりLDの監査法人はそのファンドが何をやっているか把握することができない。
インサイダー規制を回避するためにファンドを作ったという言い訳があったが、
そんな知識があるなら まず「自社株売って儲ける」に抵触することに気付くはずである。
計画性や隠蔽の意図は明白だ。つまり誤りではなく故意であり決算訂正で済ませる話ではない。

「株価が上がる保証なんかないんだから隠蔽の意図を論じる余地もない」というのは苦しい言い訳だろう。
だったらなぜ計画的に隠蔽工作までして「自社株を売って儲けた」のか、と聞かれれば沈黙せざるを得ないのではないか。

堀江とその擁護者は粉飾額だけを挙げて、大した事件ではないと言い続けているが、
粉飾額はLDの実力、即ち、それまでの売上げや利益に比して大きいものであり、他の事件とそのまま比較するのはナンセンス。

また、粉飾された決算書で多額の増資を行なっている。それまで100億程度だった資本がわずか1期で1700億まで増えている。
かつて例を見ない大規模な詐取である。
加えて、粉飾に合わせて行なわれた株式100分割の前後に10分割しており、これは1年足らずで1万分割という異常なものだ。
これらの要素がミックスされてLDの時価総額を膨張させる強烈なポテンシャルになっているのである。

さらに重要なのはLDがマザーズの安易な上場基準、新興IT企業の成長神話、規制緩和に依存する泡沫企業であり
犯罪も含めてトータルすれば、ビジネスモデルが結局 素人投資家の無根拠な期待の悪用でしかなかったことである。
こういった独自の要素を省略して粉飾額のみに問題を矮小化するのは詭弁もはなはだしい。

そもそも事件が堀江の良いとこ見せたい願望に端を発するものであり事実上の主犯で諸悪の根源なのが明らかである事、
犯罪を含めて膨張させたLD株を売り抜いて140億の私財を構築した最大受益者という点も重要である。
自分は会計の知識はないと抗弁しているが「自社株売って儲けた」ことは認識できており専門的な会計の知識は不要である。

マネーライフ社の企業価値算定も、いったん算定したものにさらに上乗せしたことを関係者が認めており
算定手法についてあれこれ言うことに何の意味もない。

堀江が実刑妥当なのは以上の説明で十分過ぎるかと思われる。

拝金主義によって悪人にされたと言うがそんな心配は無用である。
堀江の経営(ゴッコ?)を含めた一連の行動は明らかに幼稚な功名心や無いものねだりなヒーロー願望そのものであり
「金のためならなんでもやるクレバーな悪党」には余りにも程遠い。

郷原や佐藤のような輩は堀江の知名度に期待して自分たちの主張に利用すべく擁護のスタンスを頑なに継続しているが
それが逆に彼らの説得力を弱めている。そろそろ堀江を見限ってはどうだろうか?
ライブドア弾圧事件 ★★★★★
郷原信郎氏と弾圧事件の被害者3人との対談である。
対談といっても、事件の争点が詳細に述べられているので、簡単に読めるものではない。

3つの弾圧事件の中では、特にライブドア弾圧事件が、私の印象に残った。
簿記3級の知識すら怪しい東京地検特捜部による強制捜査、真実を理解できないマスゴミによる一方的なバッシングにより、堀江貴文氏は極悪人にされてしまった。
しかし、ライブドアと堀江貴文氏を強く非難する輩たちに限り、何も分かっていない。
裁判所が検察と一心同体であるから有罪判決が出ただけであり、非難する輩には是非自身の手で堀江貴文氏の有罪を合理的疑いを超える程度に証明してもらいたいものである。

ライブドア弾圧事件のうち、約53億円の粉飾といわれているものは、ライブドアの子会社が実質支配する投資事業組合がたまたまライブドア株で売却益を計上し、それをライブドア本体が子会社との連結決算で利益を計上しただけである。何ら問題はない。
なお、買収される側が現金を希望しているため、このようなスキームになっただけであり、隠蔽の意図は存在しない。そもそもライブドアの株価が上昇する保証はどこにもないので、隠蔽を論じる余地がない。
もし万が一誤りであったとしても、現金は現実に存在するので、決算訂正により勘定科目を訂正すればよいだけである。およそ刑事事件にはなり得ない事案である。

また、マネーライフの買収については、企業価値が争われた。検察は、純資産額を基準とする方式しか知らないようであるが、他の方式があることもよく勉強してほしい。ライブドアは、DCF方式を使用したが、他にも収益還元価値を基準とする方式、株価を基準とする方式などがあり、算定方式が異なれば、算定結果も異なってくる。実際には20倍とかの開きも出たとしても不思議ではない。
当初、検察は子会社同士での株式交換による企業売買は違法だと非難していたというのだから、会計について基礎の基礎から勉強してほしい。

裁判外では株式百分割が非難されたが、この非難もあたらない。なぜなら、発行日決済取引市場が存在するからである。百分割により株価を上昇させるという主張は、そもそも理論的根拠を欠いている。
もっとも検察は、旧株と新株の違いすら分かっていないようであったらしい。さすがにそういうことはないと信じたいが。

最後に私が注目したのは、ライブドア株主損害賠償訴訟判決である。裁判所は、検察官に公表の権限があるとしたが、内偵捜査中の事実を公表する権限が検察にあるはずがない。是非ともライブドア(現LDH)や堀江貴文氏に国家賠償請求の訴えを提起してほしいものである。
特捜問題を考える上での出発点 ★★★★★
 本書は東京地検特捜部に逮捕、起訴された<著名>な刑事被告人たちと、元特捜検事郷原信郎との対談を収録したものだ。
 冒頭で現行日本の刑事司法制度について概観し、その中で検察権の果たす強大な役割を説明する。検察官はいかなる犯罪についても捜査することができるという検察庁法の規定。どの犯罪について起訴すべきかの判断につき裁量権を与える起訴便宜主義(刑事訴訟法)。そして、検察官の面前で供述した調書の証拠能力につき<下駄>をはかせる刑事訴訟法上の伝聞例外規定。
 警察の捜査をチェックするのが検察の役割の一つだとするならば、検察独自捜査にはこのようなチェック機能がはたらかないことになる。そして、検察官調書の優位な位置づけ(裁判所のチェック機能も働いていない)。参考人や共犯者を「割る」ことでどんな事件も「有罪」にすることが可能なシステムが成立する。
 独自捜査も、検察官調書の優遇も、それ自体は必要な制度なのだろう。だが、裁判所やマスコミの健全なチェックが働かない場合には国民の人権に対する凶器と化すのである。
 各対談者の<犯した>とされる事件は複雑である。検察、被告双方の言い分が本書に図式化されているが、これを見てにわかに、はたしてこれが犯罪なのか、断定することは困難だ。だとすれば怖いことだ。逮捕時に流布される報道の洪水は、事案を極端に単純化していないか?検察権の行使=有力者の断罪=国民の喝采、といった流れはいい加減断ち切らなければならない。そこで、本書の役割は大きいと考える。
 なお、対談中各被告の言い分を一方的に郷原氏は聞いているわけではなく、それなりに被告の見解に違和感も表明したりしていて、その点がきちんと現れている点も評価に値する。
もう特捜じゃあ無理 ★★★★★
 元東京地検特捜部検事と特捜に「お世話になった」3人の対談集。一読して、よくもまあ特捜検察は
無理筋に無理筋を重ねた捜査を性懲りもなく続けているなあ、と思う。3人に関しては事件も裁判も有名だから
いまだ記憶の隅に残ってはいるが、このほかにも福島知事、埼玉知事、厚労省局長事件等々、思い出せば地検特捜部の
「惨状」はここ数年急増している。本書に後半部に載っているので、そこを読んで欲しいが、ここを読んだだけでも
背筋は寒くなるし、腹は十分に立つ。

 これだけ社会、経済が複雑になってくれば、特捜がどんな犯罪でも処理するのは不可能だろう。本書の中で堀江氏も触れているが、
公取や証券監視委など各分野で専門の犯罪捜査組織を作っていかないと、適切な法運用ができなくなる、という意見に賛成である。
特捜を放置して国民の人権が脅かされ、適正な社会発展が阻害させれるなら、最終的にもっとも被害を受けるのはいうまでもなく国民なのである。
何でもかんでも検察に任せるのはもう終わりにしなければいけない。
権威と権力を考える ★★★★☆
特捜神話の終焉 郷原信郎 飛鳥新社 2010

元検事と元被告を経験した3人との対談
国策捜査という言葉を一般化した佐藤優さん、ライブドア事件の堀江さん、そ して個人的にはまったくしらなかったキャッツ事件で190日拘留された公認会計士の細野さん。
郷原さん自身は現在、ヤメ検なのだが検察とはまったく関係を持たずコンプライアンス関連の仕事(大学教授や講演等)をされている。
検察内部を知り尽くした人間と、検事らと長期間にわたり対峙した経験をもつ上記3人。
この3人の共通点はまず、自らが完全無罪だという確信を持っていることである。無罪という自信である。特に佐藤さんの場合には、すでに多くの著作がベストセラーになっているからご存じの方も多いと思うが、1年以上も拘留され、 その意思を示された。最終的には最高裁での上告棄却で有罪判決となるが多くの人たちは彼の実質無罪を肌で感じているだろう。細野さんの場合も対談の後 直ぐに上告棄却で執行猶予の有罪が確定した。
現在堀江さんは最高裁に上告中である。
3人の方々が感じているのは、初めにストーリーありきの逮捕だということだろう。筋書きが最初に作られ、その筋書き通りに犯罪者が出来上がっていく物語である。
検事という権力者はすべての法律を知っているように多くの人々は思うだろう、しかし昨今の経済犯罪という文脈においてはその基本的文法すら理解して いなり検事が少なからずいるようだ。
元被告の3人の現在の活躍を見ていると、ある意味、まだ日本の自由度は担保されているとは思うが、郷原さんが対談を終えて、のところで書かれている他の案件や人知れず 埋もれている裁判なんかで人生を台無しにしている方もいるのだろうか。権力という人間が作り出した枠組みは時に暴走するという事をすべての人は知って おくべきなのだろうと思った一冊である。 そして郷原さんは指摘する、検察は権力の側にあるのでなく公益の代表であるべきだと。