また出ました。自分や周りの人が新しい心の病気だと思いたい人は是非本書を
★★☆☆☆
こんどは「お子様大人症候群」である。この名付けの巧拙で精神科医(ちなみに著者は文学部系の精神分析家で医者ではありません。だから投薬はできません)
はスターにもなれるし埋もれたりもできるのです。さて今度のネーミングは如何でありましょうか。自分や周りの人が新しい心の病気「お子様大人症候群」だと思いましたか。
病気や症状に名前をつけるのは周知徹底や治療の均質化を生むという点で、役に立つ面ももちろん大きいのですが、反面ただのレッテル貼りになって、間違った常識を広めてしまう危険を
常にはらんでいることを専門家なら誰でも意識していなければなりません.ぼくは素人ですがそう思います。
「お子様大人症候群」とは、人に迷惑を掛けるような人たちで、いつも、こちらが不快になって怒りたくなってしまう人たち、つい、こちらが怒るのは相手が悪いからだと思ってしまう人たち
のことだそうで、いまいち定義がよく理解できませんし、そんな人なら昔からいます。ところが、著者はなんのデータも示さずに、これら「お子様大人症候群」のひとが「増えている」というのです。
「増えている」と、感想を言うのは自由ですが、科学者が根拠のない感想で済ますのはダメだと思います。もっとも著者は「文学部出身だから科学者ではない」とおっしゃるかもしれませんが、
そんなことを言ったら、元フォークルの恩師が嘆かれるのではないでしょうか。
本作の後半は精神分析を新書で知ろう.精神分析の雑学といった趣.その中で、精神分析に対する著者の本音が出ているところがあって興味深い。
「精神分析の訓練はちょっと宗教の修行制度に似ています。現代では一般の人々から失われつつある宗教の後継者が精神分析なのでしょう。
分析家になるには禅僧のような訓練が必要なのもうなづけます」
宗教そのもののような気もぼくはするけれども、最初に「精神分析の訓練」という言葉で始めて、それは「宗教の修行』に似ているとし
つまりは、「禅僧のような訓練』であって、分析家が行うのは「訓練」だとするあたり著者の心の揺れが読み取れます。さらに
「分析家を自認している人が行うものが精神分析なのか、それとも、分析を受けに来るひとを毎週4回以上.寝椅子を使って自由連想をする設定を
持っているひとを精神分析家と呼ぶのか.それらの定義は今も議論されています.世界的には週3回でも良いといった議論が行われていますし(後略)」
この古くからあるという議論は何のこっちゃとぼくも古くから思っていましたが、こう改めて持ち出されると、なんだか滑稽ですらあります。