「本書の主な関心は、国家の元首および軍の最高指揮官としての彼の名で、その積極的な指揮のもとで行われた戦争の道義的、政治的、法的な説明責任を、天皇が公的に認めずに済んだ点にある」。著者は「ヒロヒト」執筆の動機をこう説明する。つまり東京裁判で免れた昭和天皇の「戦争責任」を改めて問い直そうというのである。そのためにビックスは1500余点にのぼる膨大な文献資料を集め、それを「証拠」として「独裁的天皇制の枠組みにおける単なる御輿であり、軍部の操り人形にすぎなかった」という従来の定説を否定している。
確かに、満州事変から大平洋戦争にいたるいわゆる「十五年戦争」の政策決定プロセスで、国際協調を配慮しながら軍部の拡大政策に引きずられていく天皇の苦悩を生々しく描き出してはいる。しかし、けっきょくは「日本が国外で行ったことに対して、どんな個人的責任も自覚せず、13年11カ月にわたって多くの人命を奪った侵略戦争の罪を1度として認めなかった」という天皇像を導き出している。その前提は「十五年戦争」をパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)に違反した「侵略戦争」と断じた東京裁判判決と軌を一にしているようにみえる。
「満蒙は日本の生命線」といった松岡洋右や「戦争の原因は領土、資源の不公平な分配」とする近衛文磨の考えを、ビックスはいとも明快に「誇大妄想のナショナリズム」「誇張された利己的な国際情勢の解釈」と決めつけている。そして、戦争原因を「領土拡大と戦争への情熱にとらわれていった天皇」に求めるのだが、「列強は人種的な対立につき動かされており、日本がアジアにおける有力な国家として台頭することを望んでいない」という近衛の言葉(論文「世界の現状を改造せよ」)と、それを信じた天皇の国際情勢認識を被害妄想として片づけるほど、あの戦争は単純なものだったのだろうか。そんな疑問が残るのである。(伊藤延司)
昭和天皇が終始徹底して非戦論を唱えていた、ということではないですが、ある時期に積極的に戦争回避の努力をしたことは、資料もあり史実としても明白なのですが、それには資料も含めてほとんど触れられていません(宇垣一成内閣流産など)。
そのように限りなく一面的な歴史観に基づく著作であるものの、こういった外国人研究家の昭和史理解を一面的である、と批判しても意味のある議論ではないでしょう。そうではない外国の日本研究家など、一握りもいないのですから。その意味ではドナルド・キーンの『明治天皇』も、逆の意味で一面的です。
どちらかと言えば、こういう本が出ることは、いろんな立場で歓迎すべきだと思います。まず、同じ立場の日本の歴史学者の突っ込みの弱さが明白になり(ほとんどが昭和天皇は「戦争を止められない弱い君主」的な仮説でしかなかった)、同時に昭和天皇の人間性の、一筋縄ではいかない複雑さ、すなわち昭和という時代の多面性、重層性が今になってまた浮き彫りになってきています。
本書を批判する前に、日本の学会・メディアの状況を嘆くべきです。こういう著作が欧米人に書かれ、大作として話題になっていることが、まだ日本人が自らの手で昭和に決着をつけなかったことの帰結でしかないからです。
今必要なのは、本書への批判ではなく、本書を乗り越える日本人の覚悟ではないでしょうか。
昭和天皇が終始徹底して非戦論を唱えていた、ということではないですが、ある時期に積極的に戦争回避の努力をしたことは、資料もあり史実としても明白なのですが、それには資料も含めてほとんど触れられていません(宇垣一成内閣流産についてなど)。
結局、限りなく一面的な歴史観に基づく著作であるものの、こういった外国人研究家の昭和史理解を一面的である、と言って批判しても意味のある議論ではないでしょう。そうでない外国の日本研究家など、一握りもいないのですから。その意味ではドナルド・キーンの『明治天皇』も、逆の意味で一面的です。
結局、こういう本が出ることは、いろんな立場で歓迎すべきだと思います。
まず、同じスタンスに立つ日本の歴史学者の突っ込みの弱さが明白になり、同時に昭和天皇の人間性の複雑さ、すなわち昭和という時代の多面性、重層性が今になってまた浮き彫りになってきています。
こういう著作が欧米人に書かれるということが、まだ昭和は何も終わっていないことの表れでもあると思います。
本書を批判する前に、このような著作が大作として話題になっている日本の学会・メディアの状況を嘆くべきです。
結局、外国人任せにせず、昭和天皇・昭和史の決着は日本人自らつける覚悟が、ここでは必要なのではないでしょうか。