作者は米マサチューセッツ工科大学の日本研究の第一人者で、終戦からサンフランシスコ平和条約による独立までの日本を描き出したこの著作で1999年のピューリッツァー賞を受賞した。
これは単なる日本の戦後史の概説でも、アメリカの占領、統治政策の断面でもない。著者の視線はどこまでも低く、さまざまな庶民の具体的な姿を通して、混乱期の日本社会と占領政策の実相が浮き彫りにされる。引き上げ者、闇市に集まる人々、夜の女、孤児…。両親や祖父母がくぐり抜けてきた時代であり、日本人にとって個々には聞いたり読んだりして知っている民族的体験だが、これが広い脈絡の中に位置づけられることで、それまで気づかなかった政治、社会、文化的意味合いが明確になる。
たとえばパンパンと呼ばれた米兵を相手にする夜の女たち。過去の日本は、外国との文化交流は上層エリート層から垂直に浸透したが、タバコ、ストッキング、化粧品とアメリカ的消費文化を先駆的に受容したパンパンは、それまでなかった水平的な西洋化という文化交流の象徴となった、と著者は言う。また占領軍の白人至上主義も著者は見逃さない。ドイツのナチズムは、成熟した西欧社会にできたガンだが、日本社会は本来的にガン体質で、未開の野蛮なものと認識されていた。アメリカの義務はその遅れた日本人を文明化することで、そこには民族的優越意識に基づく宣教師の情熱があったと指摘する。
ある国の学者が日本の歴史書を書いても、それはまず当の国の人々に向けてであって、日本人を満足させるものは少ない。しかし本書のような優れた著作に出あうと、既定のものとしていた日本の戦後史が異なる相貌をもって立ち上がる。日本の基点となった時代を違った視点で、より相対化して見る意味からも必読の書といえよう。(西川 恵)
負けるが勝ち
★★★★★
僕もまた著者と歴史観を同じくするものです。こう考えるしか日本の生きる道はないのでは。あの戦争で唯一負けなかった国が、あれからどれだけ無駄な血を流してきたかを見れば、負けたことから戦争をしないことを学んだ日本こそが、本当の勝利者になり得るのかも知れない。
客観的考察でありながら温かい目を感じさせる好著
★★★★★
戦後の日本史の空白を埋めるかのように、敗北に打ちひしがれた「民衆」が敗北による卑屈さや憎悪ではなく、「敗北を抱きしめながら」希望・夢を持って平和と社会改革に取り組んだ姿を描いたピュリッツァー受賞作。日本人の「民衆意識」と言う観点から論じているのが特徴。上巻は「勝者と敗者」の対比から「上からの民主主義革命」の様々な様相まで。当時の写真が本書の証人のように豊富に挿入されている。
玉音放送によって民衆が虚無感・喪失感と同時に解放感・安堵感を抱く所からスタート。次いで、戦争未亡人、戦争孤児、復員兵等の戦後の社会的弱者が社会から冷遇された様子を冷徹に描く。物理的にも精神的にも日本は瓦解した。
そして、占領軍から降って来た民主主義と言う無血革命。アメリカの民主化の目的は、日本の非軍事化、自由・基本的人権の確立だが、民主化の範囲は経済にまで及んだ。一国の根本精神を変革しようとする未曾有の試みであった。その大敵は日本人の「虚脱」感であり、主要因は敗戦ではなく「食糧不足」と断じる。その原因である闇市に代表される裏社会と政官との癒着、政府の無策は現在を見ているよう。
しかし、この困窮の中から日本人が人生を立て直していった姿を著者は「人間の不屈の力の証」として評価する。"明日の明るさ"への希望の原動力は、パンパンであり、サブ・カルチャーであり、「リンゴの唄」であり、言論・文学界、特に漱石の諸作であった。広範な分析対象に驚くが、目線が民衆に向いている点が真骨頂。最後に"上からの民主革命"に対する日本人の精神的特性・行動様式を論じる。綿密な考証に基づく客観的な記述でありながら、日本人に対する温かい目を感じる。まさに、戦後の日本史を埋める貴重な一作。
現代の日本人では書けなかった論点
★★★★☆
この書を一言で表せば、
「『天皇制民主主義』の形成過程」である。
日本の研究史が「民主化」から「冷戦」を経た
「逆コース」への動きを通説とするのに対して、
本書は「逆コース」以前に形成された
「天皇制民主主義」の枠組みに至った経緯を論じている。
天皇制の危機事態を、異なる可能性があったとの視野から
相対化する、という考え方は、日本人の視点からは欠落する。
さらに、返す刀で日本の親米派の言説をも砕く。
アメリカの「傲慢で植民地主義的な」占領政策は、
理想主義的ではあったが、その達成の為に
官僚制と検閲システムを利用した。
この事が、日本人に対し「どこまでが解釈領域なのか」
を自発的に悟らせ、報道、ひいては思想的な「自主規制」に
至らしめた。
さらに、アメリカの占領政策の遂行から
天皇制を護持する必要から、
法理論上の根拠を踏みにじって遂行された東京裁判は、
『日本人自身で戦争犯罪者を裁く契機』を喪わしめ、
「侵略の加害者」から「戦争の犠牲者」への自己規定に
至らしめる契機となったとの視野も、
やはり日本人研究者から総論としては出てこないものだった。
著者は流石に第一級の研究者であり、
オーソドックスな占領期研究の蓄積をきちんとこなしていることは、
文献リスト、協力者として掲げられている研究者を見れば判る。
また、かなり左派的な観点から書かれているが、
批判の俎上に登っているのは日本ではなく、
日本の占領統治を通じたアメリカである。
エピローグのマッカーサーに対する叙述を読めば、
エスノセントリズムの観点を
できるだけ中和して書こうとした意図を伺える。
天皇制支持者としては天皇の能動性に対してやや辛い印象を持つが、
日本人ではこの論述はまずタブーであり、
まして占領統治全体におけるキー概念として駆使することはできない。
第一級の海外研究者のみが為しうる俯瞰図であり、佳作である。
確かに力作だろうが
★★★★☆
虚脱をメインテーマに、戦前戦後の統治者に翻弄させる日本国民を、精神論、文化論、はたまた風俗にまで踏み込んだ、正に占領軍と髣髴とさせる圧倒的なボリュームで読者に迫ります。マッカーサーの日本人12歳以下論の真相や、マッカーサーの本意とは別に伏線としての日本人の精神論と、なかなか構成も良く考えられています。ただ、人文学的な定説が、果たして客観性のあるものなのかが、常に頭に引っかかります。日本人のマッカーサーに対する神のごとき仰ぎかた、なんぞは果たして客観的な事実なのか、理系の人間には溜息が出る箇所も散見します。各章が時代的に行ったり来たりしてますが、テーマごとの章なので、ある意味効果的ですが、読んでいるうちに混乱することもあるかもしれません。
日本文化。解剖から認識へ。
★★★★★
現代社会の謎解きを願う54歳です。「現代史領域」の事実認識が重要と推測しておりましたが、読後、頷けました。著者によると、自立、説明責任、生きる上でのプリンシプル、現実主義、実存主義、自由主義、そして個人主義、これらの認識とすり合わせがアングローアメリカ的には重要であると。占領統治に当たって、選民意識と儒教思想に裏打ちされた一種のカルト国家{意訳}の「再生」過程を、内部情報も駆使して論述されています。そして知り得たことは、彼らのプリンシプルと現実的な「方便」でした。現代日本が抱える病理ーほおかぶり、ミソギ、聖域、丸投げ、二枚舌、他力依存、官僚主導主義などーのなぞを解く多くのエビデンスを内蔵しており、貴重な書と評価しました。紙面をお借りして、推薦頂いた先生に感謝申し上げます。