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空の戦争史 (講談社現代新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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欧米中心の無差別爆撃の歴史 ★★★☆☆
第一次世界大戦以来の無差別爆撃の歴史を欧米中心にえがいている. 第一次大戦におけるドイツとイギリスの爆撃合戦に端を発し,イギリスでそだてられた無差別爆撃の思想がやがてアメリカにもひきつがれ,東京大空襲や広島・長崎につづいていく.

日本も重慶などへの無差別爆撃を長期間おこなったことが知られていて,この本でも 「はじめに」 でそのことにふれられているが,あつかいはちいさい. 日本を加害者としてよりは被害者としてみている点で,従来の戦争史と同様である. 無差別爆撃被害者としての日本をおおきくとりあげている以上は,加害者としての面についてももうすこしページをさくのでなければ,バランスがとれた記述にならないとおもえる.
空爆でもなく精密爆撃でもなく無差別爆撃 ★★★☆☆
本書における著者の立場は一貫している。
それは、世に言う空爆とはすべて「無差別爆撃」である、という立場である。
仮に純粋な軍事基地等の破壊を狙ったものであっても、民間人の死傷の可能性を「付随的損失」
として片付ける、軍の論理そのものが「無差別」だというのである。
本書が扱うのは特に第一次大戦以降の爆撃戦略の論理・思想・実態であるが、上のような前提のもと、
記述がなされていることをあらかじめ認識しておくとよいと思われる。

基本的な事実を丹念に追っている点は、評価できる。
しかしながら、上に書いた前提のためか、いささか強引な解釈も見受けられる。
アメリカにおける戦略爆撃理論の展開に続いての文章である。以下若干長いが引用する。

――
したがって、「精密爆撃論」であろうと「戦略爆撃論」であろうと、その論理展開の背後に
隠されている真の狙いは、戦争の早期終結などではなく、市民を無差別殺戮するその犯罪性を
疑似科学論で巧妙に隠蔽し、その罪を犯す加害者自身の良心、ひいては加害国の国民全体の
集合的良心を幻想で眠らせ、あるいは麻痺させることに他ならない」(132頁)
――

これは、精密爆撃が本質的には無差別爆撃であり、そのことが軍事理論家たちに少なからぬ
良心の咎めを呼び起こさせることが前提となるが、果たして彼らはそこまで考えていたのだろうか。
経験の不足から、理論とはいえない理論を構築していった、という著者の指摘は恐らく正しいが、
上のような解釈は少々強引ではないかとも思う。
別の書評でも書いたが、当時のアメリカによる戦略爆撃の変遷は、徹底した「効率化」の
過程であったと考えるほうが、少なくとも私にはしっくりくる。
戦争の勝利を至上目的とし、そこに至るためには「敵国市民の士気の喪失」が必要であり、
それをもたらすためにはどのようなやり方がもっとも適切なのか。
こうした倫理観を排除した徹底的な合理主義こそが、軍の理論だったのだろう。

最終的には、(少なくとも市民に恐怖を与えることを目的とした)無差別爆撃は、
軍事的な観点から言っても効果が薄い、というのが著者の主張だろうと思う。
では、「付随的損失」の可能性が常にある、現代の誘導ミサイル等を用いた「精密爆撃」が
持つ戦略的な影響力について、著者はどれほどのことを言うことができるのだろうか。
竜頭蛇尾になりかねない本 ★★★☆☆
 空における戦争を空爆という側面から描く本です。米英独を中心として、その空爆戦略・思想の変遷から、それらを裏付ける事象を取り上げています。空軍力の効率性という観点は現代でも言われることですが、本書では効率性よりも結果の損失の方が大きく、"効率性"という観点は成立し得ないという結論に達しています。
 米英独の事象追跡に関しては、資料や軍の見解などを追ってはいるのですが、日本陸海軍の空爆戦略・思想については、資料や見解を追うことはしていません。にもかかわらず"徹頭徹尾無差別爆撃であった"と断罪するのは如何なものかと思います。折角の力作も台無しになりかねません。断言する以上は、著者による日本陸海軍の空爆戦略・思想を追跡する本が出されることを望みます。
空爆はすべからく「無差別爆撃」 ★★★☆☆
アメリカ軍は第二次大戦中、自国だけは「精密爆撃」を実施して敵国一般人への人道的な配慮を行っていると喧伝していました。しかし、実際には「無差別爆撃」であったことを本書は教えてくれます。
連合軍、枢軸軍ともに「敵国人の交戦意欲を喪失させるため」「軍事目標を破壊するため」という建前の元に実質的に一般人を巻き込む「無差別爆撃」を行っていたのです。
実際、大戦中のわが国の米軍の爆撃による被害を見れば本書の内容は納得のいくものです。
戦勝国も敗戦国も手が汚れていたということですね。

しかし、この本で一箇所だけ解せないのは、日本軍の重慶など中国への爆撃だけは「最初から最後まで無差別爆撃であり、無差別爆撃以外には空爆方法は考えられていなかった・・・」と、まるで日本軍の空爆だけは正真正銘の「無差別爆撃」だったような書き方がなされているところです。本著では、ナチスによるゲルニカの爆撃さえも、攻撃目標は町中の敵戦闘員であり、無差別爆撃であったとされたのはその後の報道によると書いています。旧日本軍に対してだけ厳しすぎるのではありませんか? 
よっぽど、正確な照準のできない夜間の地域爆撃をしていたイギリス軍や、実験で威力が判明していた原爆を市内に落としたアメリカ軍の方が「確信犯的無差別爆撃」を行っていたのでは?というのが本書を読んだ私の感想なのですが。
空爆は有効か? ★★★★☆
ちょっと前は北ベトナム、最近だとセルビアで、空爆の有効性に疑問がついた。民生に多くのダメージを与えるけれど、戦争継続能力には大きな影響を与えないというものだ。本書は空爆という概念の始まりから、原爆投下までの空爆史と思想史を報告する。

第一次大戦からすでにドイツでは無差別爆撃が主流になっていた。「人倫にもとる」と無差別爆撃に否定的で、軍需工場などへの精密爆撃を主張していたアメリカも次第に精密爆撃が有効ではないことに気づいた。ドイツの軍需生産はシュぺーアの元、むしろ生産量を上げていた。この状況に「ドイツ国民はすべてファシズムの協力者なのだから、無差別でも構わない」とレベルを下げる。都市爆撃だが、中国と言い英国と言い、抗戦意識はむしろ空襲で高まっている。空爆が決定的な効果を得たのは制空制海権もなかった日本だけではないか、という。

「無差別」「精密」と空爆の思想が二派に分かれていることを知った。記述が原爆投下で終わっており、戦後以降の空爆教義が知りたいところではあった。