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メディアスポーツ解体―“見えない権力”をあぶり出す (NHKブックス)

価格: ¥1,019
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日本放送出版協会
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興味深いがちょっと物足りない ★★★☆☆
マスメディアが持つ権力の大きさや人に与える影響力に関する研究はたくさんある。その中でも本書はスポーツのメディアに特化させて世に問うたといった点で、目新しいものである。著者は、スポーツの報道の中身から「ナショナル」「ナラティブ」「ジェンダー」などの領域に切込みを入れる。そして、それらが知らず知らずに視聴者や読者の深層心理に深くもぐり、アイデンティティ形成に巣食って、神話が創造されていく過程を提示する。そしてその膨らみすぎた実体の無い中身を解体していく、つまり「<見えない権力>をあぶり出す」という作業を行っている。

冬季五輪の浅田真央とキムヨナの対決報道など、時に異常に煽り煽られ、加熱しすぎる報道、無理にでも感動させるための時に強引な物語性(家族愛、夫婦物語など)、海外で活躍する選手がすぐ「サムライ」「なでしこ」呼ばわれすること、「日本人らしさ」という紋切り型の言葉などに違和感を持つものは、本書でなるほどと納得させられる部分が多く、スポーツ報道に関して注意深さと客観的判断が自然に増すと思われる。ただ著者はあとがきで、本書はただのスポーツジャーナリズム批判ではないと述べ、「作り手についそうさせてしまう、もっと大きな存在」を問うている。つまりそこには。読者や視聴者も当然含まれていると見ていいだろう。つまり、報道側とそれを受けとる側の、より複雑な関係性を根底から問わざるを得なくなる。だがそういった点について、本書は残念ながら充分に追求できているとは思われないので、すこし物足りなさを覚える。

これはファシズム。あるいはメディアの無責任 ★★★★☆
 メディアとスポーツが合体する。そこには強大な権力が発生する。我々がなんら意識することもなく
観ているスポーツ。だが我々はそれを純粋の観ているわけではなく、メディアというフィルターを通して観ているのだ。
 そこは誤解と無知と偏見に満ちている。これが怖いのはメディア側による情報の提供がスポーツという一見害の
ないものを通して行われることである。これが政治や経済なら見る方もそれなりに身構えて受け手の立場になることが
できるが、スポーツだとスポーツであるがゆえに無批判に、無自覚にその立場になる危険性があることだ。
 たかがスポーツ、されどスポーツである。ここでのメディアの接し方とその他とをそうそう器用に区別することはないだろう。
しかもメディアはあまりに安易に、無責任にこの権力の構図を作り出しているのだ。

 本書は決して目新しい学説が登場するわけではない。独創的な論理展開がなされているわけでもない。
それでも豊富なデータと著者のスポーツへの愛着と造詣の深さを随所に知ることができる。
著者にはデータ、説、論をさらに進化させた次著を期待したい。
スポーツ×メディアの文化政治学 ★★★★★
TVやネットでのスポーツ中継、新聞・雑誌でのスポーツ報道、スポーツ選手の出演するCMやバラエティなど、我々の日常をとりまく「メディアスポーツ」は、様々な価値/意味を付与された「物語」を伝達することで、我々の意識や感情の形成に関しソフトな権力を行使している。その実態を、国内外のカルチュラルスタディーズやスポーツ社会学の研究成果を縦横無尽に参照しつつ、著者独自の事例分析も加えて論じた作品である。全体的にとても手堅い記述がなされており、「教科書的」という形容が当てはまるように思われた。
国際スポーツは「ナショナリズム」と密接に関わるが、それは例えば、サッカーの日本代表における、オシム・岡田両監督の評され方の相違を分析することで明確になる。オシムの「他者」ぶりは「日本らしさ」を際立たせ、岡田の再登場は「日本らしさ」を再認識させたのだ。メディア上におけるスポーツ選手の扱い方は男性/女性で顕著に異なり、報道の質量の懸隔や選手の名前の呼ばれ方の違いに加え、女性選手は彼女を支える異性の存在(監督・コーチや父・夫)とともに語られることが顕著に多い。黒人選手は何かとその「身体能力」を称揚されるが、これは日本人の「組織力」とともに、特定の技能について精確に述べたものではなく、「人種」という幻想をめぐる「ステレオタイプ」を肯定・強化するための、ある種の「神話」である。
以上のような見識は既存の研究でも言われてきたことだが、終盤の「イチロー」論はかなり独創的で特に面白かった。周知のように、2009年WBCでのイチローはまさにヒーローであるとともに物すごくはしゃいでいたが、あのはしゃぎぶりは、かつての「孤高の天才」のイメージのままでは受け入れ難かっただろう。それが自然に受容されるに至った理由としては、2006WBC時に放映された佐々木との対談番組で見せた「素顔」をはじめ、イチローによる巧みなメディア戦略があった、と著者はみる。イチローがどこまで自覚的に立ち回っているのかは議論の分かれるところだろうが、著者の論証を読んでいると、確かにイチローのメディアを通した印象操作の力は抜群であるな、と納得させられる。
終章では、このようなイチローとの対比で、より「日本人的な」ヒーロー像を満たしてくれる「松井」についての考察がなされ、こちらも大いに肯けた。ジャーナリストらしい子気味のよい文章によって、スポーツ(選手)をめぐる言説やイメージに対する批判的なスタンスの取り方が明快に示されており、素晴らしい。