「服で自分をよりよく見せようなどおこがましい。等身大の自分を表現するものが服である。」
「洋服は体で着るもの。体がよくなきゃダメ。和服は体型関係ないので、顔で勝負。」
などどっきり発言も多数。
「四季を通じて持つ服の点数を少なくすれば、良いものを長く着る習慣がもてる」との発言は、良い意味でいかにも欧風かぶれ。
しかし例えば春と秋では、気候は近いとは言っても気分が違う。春の緑と秋の緑では緒の図と違うし、お盆の頃にはゴールデンウィークに着ていた服の布でさえ厚ぼったく暑苦しく触るのも鬱陶しいくらいなのに、というのが私の正直な気持ち。
そんな私を叱るように著者は続けます。「日本人は洋服を着物を着るように着ており、洋服の真髄を知らない。」と。
着物の美学をひきずって洋服を着ているということは。
いま着物を着ようと思ったら、洋服の感覚で着ればよいのかしら。
最近、着物を着る機会が多いのですが、どうもしっくりこなくて困っていたのです。
ルールとか着付けの問題よりも、生活の面で。
例えば着物といえば絹ものが多いけど、一生の間に数回しか洗えない服なんて汚くないですか?
絹の着物ってパーティドレスなのかも。としたら普段はやはりざぶざぶ洗える木綿や麻。
着物も木綿のを着ればよいのか・・・などと、心はつい着物の方にとびます。