孤高の作品の永遠の名盤
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クラリネットという楽器は、1700年頃、クラリーノの代用としてニュルンベルクの楽器製作者デンナーが考案したと言われている。しかし、モーツァルトやハイドンが活躍した古典派の時代にはまだ一般的に普及したものとは言えなかった。モーツァルトにしても、交響曲や協奏曲などの管弦楽曲でクラリネットを用いたものは少なく、例外としてオペラで多用していたくらいである。ベートーヴェン以降のロマン派の時代になってその官能的で幅広い音色が効果的に用いられるようになっていった。室内楽やソロのクラリネット作品は数としてはそれほど多くないが、非常な名曲が多い。その代表的な作品が、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲である。
この二つの曲はどちらも作曲者晩年の作品であるが、共通性もある一方、全く対照的でもある。モーツァルトの方は、澄み切った音調と響きが全体を支配し、自由な魂が天空を駆けているような曲だが、ブラームスの方は、内に沈み込む悲哀、諦観に覆われている曲である。クラリネットの使用法も、時代が異なるためか違っている。モーツァルトはあまり音域を広くせず、中音域の優しい響きを中心としているが、ブラームスは低音域から高音域まで縦横に駆使している。この違いが二つの曲の性格を大きく分けている。だが、どちらも孤高の名作ということでは変わりない。
演奏者のウラッハは伝説的なクラリネット奏者である。ウィーンフィルの主席クラリネット奏者を務めていた経歴もあり、プリンツなどの後進の指導でも有名な教育者でもあった。彼の表現はまさにクラリネットというべき哀感と官能を兼ね備えたものであり、メカニカルは完全であるが、それを表に出さない気品ある音楽を奏でる芸術性がある。往年のウィーンフィルはこのような職人的奏者で構成されていたからこそ、あの数々の素晴らしい芸術を残せたのかもしれない。プリンツも引退してしまい、そういった職人的奏者の系統を踏む人たちが少なくなっていくのは誠に惜しいものである。音質面では不利があるにせよ、この演奏は二つの曲の永遠の名盤であり、最後にはここに戻ってくる故郷とも言うべきものである。