うーん...
★★☆☆☆
録音のせいなのかどうかわかりませんが、金管の音がつぶれて聞こえます。録音が悪かったにしてもプロなんだからもうちょっとどうにかなっただろって感じ、正直下手です。
金管楽器やってる人にとってはちょっと許せない部分がけっこうあります。
レニングラードって上手くないんだ、と思わせてしまうようなCDです。
しかしムラビンスキー独特のテンポ感、アッチェレの仕方は絶妙にハマッてるので、ファンにはたまらないCDかもしれません。
他の録音では聴き取れない弱音の美しさとニュアンス
★★★★★
ムラヴィンスキーを生で聴いた人がよく語っていることの一つに、ほとんど聴き取れないほどの弱音での演奏の美しさがあります。このCDの第三楽章を聴いて、きっとこのことを言っているのだろうと納得できました。ソ連の録音ではとてもここまではわかりません。
第二楽章も特筆すべき録音。他の指揮者とは音の扱いが異なるところが随所にあり、その結果私には全く違う曲を聴いているかのように、しかも強い説得力のある演奏に感じられます。
ムラヴィンスキーのファンのみならず、ショスタコーヴィチの愛好家にとって必聴のCDだと思います。
飛行機に乗らないムラヴィンスキーがシベリア鉄道と船で日本にやってきたことを思い出させるジャケット写真も心憎い演出です。
ショスタコーヴィチ「第一人者」来日の際の演奏
★★★★☆
1973年来日時のライヴ収録。エフゲニー・ムラヴィンスキー(Evgeny Muravinsky)は1903年ペテルブルク生まれの指揮者で、35歳の若さでレニングラード・フィルの常任指揮者に抜擢された。来日当時はソ連の実演に触れる機会の少ない指揮者とオーケストラであり、また録音活動もソ連国内のメロディア・レーベルのものだけだったので、「秘められた指揮者と演奏集団」というイメージだったと思う。東京文化会館の大ホールでNHKによるライヴ録音が行われたため、このようなCDとして復刻することになった。
ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの交響曲第5番の初演者であり、作曲者自身から最大の理解者と考えられていた。しかし、ヴォルコフの証言では、その解釈をめぐって、作曲者との対立、相容れない点もあったと述べられている。つまりムラヴィンスキーの解釈は「社会主義の勝利」であるが、ショスタコーヴィチは「皮肉的な」という接頭語を重視したと言うのだ。もちろんこのヴォルコフの証言自体が信憑性定かではなく、またそれほど複雑な意図を抽象的な音楽でどの程度体現できるかが問題となる。
私が聴く限り、ムラヴィンスキーの演奏は純粋に終楽章の高揚感を外に向かって開放しており、そこに特に深い意味を持たせたとは考えられず、それがヴォルコフの証言の流布の背景かもしれないとも考えた。同じソ連の演奏家でも、ロジェストヴェンスキーの解釈とは大きく違うという点でも面白い。
さて当演奏をもう少しみていくと、第1楽章は低音の支えが太く、全体に重心を低めに置いてすすめられるが、しかし、シンバルの一撃から、加速感を増していく。この部分の迫力は見事だが、しかしオーケストラは部分的に付いていけていないところもあり、やや不ぞろいな音響になっている。長旅の疲れも若干否めないところだ。第2楽章、第3楽章は思いのほか歌心が表れ、甘美性を持っており、最近のショスタコーヴィチの演奏とは一線を画している。終楽章のテンポは速く、なにもこの楽章の演奏について、バーンスタインがいきなりテンポ設定を速くしたわけではないことが分かる。そして高らかな歌い上げで全曲を終える。
この時代の貴重な刻印を聴いたという印象を残す。
もし、作曲者がこの場にいたら
★★★★★
ムラビンスキーのライヴではチャイコフスキーの5番も6番も聴いたが
演奏はとにかく、録音状態が良いとは言えずがっかりすることが多かった。
しかし、この演奏と録音の質は今、望みうる最高のものだと思う。
この演奏を作曲者が聴いたら、初演者の彼に何と言っただろう。
上手に録音できたFMラジオ放送といった感じ
★★☆☆☆
73年に東京文化会館で録音されたもので、
日本がかつては発展途上国であったことが確認できるCDです。
その理由は、ステレオ音源にもかかわらず、
同時代の1970年代の西側の録音は言うまでもなく、
ソ連の録音より、音が遠く、定位が悪く、音がやせていることです。
あと、演奏終了直後に入る拍手も減点対象です。
同じレーベルのチャイコフスキーも聴きましたが、
そちらも似たような内容で、海外の音源の方が、ムラヴィンスキーは良いです。
結論としては、ムラヴィンスキーの信奉者や当時実演を聴いた人間以外には薦めづらいCDです。