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副王家の一族 [DVD]

価格: ¥3,086
カテゴリ: DVD
ブランド: ジーダス
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歴史の荒波に飲み込まれるか、乗り越えて生き抜くか――こんな時代だからこそ必見 ★★★★★
 いやはや、感動しました。歴史的背景は知らないより知っていた方がより楽しめる。けれど、知らなくても、普遍的テーマを扱っているので、十分理解し感情移入でき、多くの事を考えさせられるはずです。
 登場人物の表情一つ一つや細かい仕草から、衣装、部屋の内装、小道具、大道具、建造物まで、何一つ目が離せず、集中力が全く途切れる事なく見終わりました。もしこの素晴らしい映画を見逃していたら、大変な人生の損失だったでしょう。そう思わずにはいられない程の傑作で、ヴィスコンティの名画『山猫』のうっとりと見入ってしまう耽美的映像美には敵わないものの、内容としては十分双璧と言えるのではないかと、このような映画を作れるイタリアに改めて感服しました。(因みに、地理的にも、『山猫』はシチリア西部、こちらは東部中心の展開。『山猫』との大きな違いは、こちらの方は監督の政治的メッセージがかなり込められている点。そのため、皮肉も相当効いています。従って、『山猫』程ゴージャスにする必要はなかったと納得。)
 物語は名門ウゼダ家の長男コンサルヴォ(主人公)の毎日父親に折檻される少年期から始まり、社会的には成功したと言える70代後半まで描かれます。その間、シチリアはイタリア統一運動指導者ガリバルディに占領され、シチリア社会は大きな転機を迎えます。旧体制の崩壊を嘆く者、自由・平等を叫び未来に希望を抱く者、こもごもの悲喜劇が生まれます。長男にも拘らず御仕置きで修道院に入れられていた主人公は、待ってましたとばかり、従兄弟(こちらは次男)と修道院を飛び出し、絶対君主的な家長である父に反抗的な生活へ。月日が経ち、母の死や、妹と従兄弟との大悲劇があった末、主人公は人生で最も大切なものは「権力」と悟るに至ります。折しも、長年君臨していた父親は、病床で哀れな姿を晒すばかりの老人となり、遂に全財産が主人公のものとなる日が来ます。こうなると人間変わるもので、主人公は家長として家の存続を願うようになり、権力欲に目覚めます。市長になり、やがては国会議員に。その渡世術は見事なもので、選挙運動では貧しい労働者に接近し、演説では「自由万歳、しかし伝統も大事にします」てな調子であらゆる層の支持を得ようします(喜劇的シーン)。主人公の豹変ぶりに驚きながらも、時代に取り残されずに生き残ろうとする必死さをひしひしと感じました。
 コンサルヴォ役の俳優がアラン・ドロンやアル・パチーノと共通する美貌の持ち主であるためか、後半の変貌は、私には『山猫』でアラン・ドロンが演じたタンクレディや『ゴッドファーザー』でアル・パチーノが演じたマイケル・コルレオーネと重なって見えてなりませんでした。(没落貴族タンクレディは成金の娘と結婚してその財産をバックに国会議員に、マイケル・コルレオーネは父の望みのように上院議員にはならないが、普通の青年からマフィアのボスとして冷徹に力を行使するようになります。)
 最後はローマの国会議事堂のシーンですが、イタリアという統一国家は成ったものの、結局国会議員は旧体制の貴族出身者が多く、口にする言葉は自由だの民主主義だの新しくても、支配階級は変わってないのですよね。日本と全然違う超階級社会のイタリアでは、社会の上層部は未来永劫上層部であり続けるために、今も今後もこの映画のような物語が形を変えて繰り返されるのでしょうか。

 あと、相続や修道院関係で、興味深い部分が幾つもありました。ベネディクト会の修道士達は夜のお祈りをさぼりたいので、貧しいカプチン会の修道士達に代行させてたなんて話は、初めて知りました。(お祈りをさぼりたかったら、もうお祈りをやめちゃえばいいのに、やめるのはちょっと・・・・で代行サービス利用って、なんかその精神構造解りますが、笑っちゃいました。)

 『山猫』は原作の邦訳があるのに、こちらはないのが残念。英語版もないようで、映画の存在を心底有り難く感じました。
 ヴィスコンティも映画化を考えていたそうですが、政治や教会の状況から断念したらしいですね。彼だったらどんな作品に仕上げただろうなどと想像しながら観るのも、一興だと思います。
華麗なる叙事詩 ★★★★★
 新聞のレビューを読んで、映画を観てきました。イタリア統一前のシチリア貴族の物語です。
 一族の血を守るために近親結婚を繰り返す描写や、長男以外の子息への残酷な仕打ち、絶対君主制のような家長の権限、自分の運命を「祈り」にしか救いを求めるしかない人間の悲哀・・・これは、過去の日本貴族社会や武家社会にそのまま・・・人間社会の縮図は世界共通なのでしょうか?
 さて映画は、重厚な雰囲気を醸しつつ進みます。シチリアの副王家の一族として君臨したウゼダ家の子息として生まれた青年の目を通して描かれる映画です。家長として生き抜くために、愛を知らずに厳しく育てられ屈折した心をもつ長男。次男として生まれたがために修道院に送られる従兄弟。その従兄弟と道ならぬ恋に落ちる妹。狂言回しのような執事(彼は主人公の祖父と女中の間に生まれた設定)の存在感も忘れてはいけません。彼は何も言いませんが、その瞳は名門貴族の宿命を客観的にいつも見つめています。
 没落していく家門を背景に、それぞれの人物の生きる姿が淡々と描きだされます。しかし、その足跡も全て無にかえってしまうのは世の定石でしょうか。最後、主人公は老境にさしかかったとき「・・・何も変わらなかった。何も・・・。」とつぶやきます。 
 久しぶりに観たイタリア映画ですが、この女々しくも感じられる映画に親近感を持ちました。家門としての栄華を誇りながらも時代に翻弄されながら朽ち果てていく姿は、まさに日本の仏教思想「無常観」に通じるテーマです。退屈な映画と評する方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこの映画の世界に共感できました。