エリートのススメ―「誰が如何に社会を設計すべきか」を宮台真司が真っ向から全力で論じる
★★★★★
宮台氏のエリート主義が全開炸裂している本書はエリート主義に関心のある人、我こそはエリートであるという人、エリート志望の人には絶対的にお薦めできる濃厚な鼎談書である。共著者が宮台氏の弟子でありつつ、首席の院生と博士である事を考えても内容の高度さは推察できるだろう。私自身の好みで言えば本書は宮台氏の著作ベスト3に入るものだと思う。必読ものの力作と言ってもいい。
共著者二人が弟子という事から批判なき馴れ合いを予想する向きもあるかもしれないが、その心配は当たらない。彼らはあまり宮台氏に同調的ではなく堀内氏に至ってはわざと反抗しているのではないか、という程に宮台氏に真っ向から噛み付きまくっている。それを宮台氏がどうかわすのか、どう応えるのか、それを見るだけでも楽しめる。
「人を見て法を説く」本書で繰り返しそう言う宮台氏はエリートだけが知るべき言葉と、それ以外の大衆用の言葉を区別している。本書には前者の言葉が盛り沢山である。勿論、その内容を決めているのは宮台氏に他ならないし批判の余地だってあるわけだが、とりあえず宮台氏が言うところの「エリート」が知るべき事が、ここには余す所なく書いてある。…そんな本書のメインテーマ、それはずばり「ソーシャルデザイン(社会設計)は如何にして為されるべきか」である。
「盲目的に幸福を感じる俗人」と「そう感じさせるために苦悩するエリート」
★★★★☆
幸福だと思い込んで(フィールグッド)生きている私のような俗人には、このような
高尚な話はなかなか理解が進まないものでしたが、その中でもなるほどと思ったことは
以下の部分です。
世の中を私のような俗人とエリートに分けて考えると、社会を設計する者は当然
ごく一部のエリート層に属する訳ですが、そのような人間をいかにして輩出するため、教育を
どのように行い、社会をデザインしていくか、またそれを行うにあたっての正当性
という点に本書の議論は集中しています。
この議論自体は特段目新しいものではないとは思いますが、今、複雑で不幸と感じる
人が増えている中で再考することは、非常に意義深いことだと思います。
細かい点では、知らない用語をはじめ理解できないことが多数出てくるのですが、
大筋各人が言っていることは理解でき、賛同できる面も多いです。
もし現在もフィールグッドデザインが行われてると考えると、その試みは失敗して
世の中は不満が多く、不幸と感じる人が増えているのかもしれません。
過激な発言で注目される宮台氏の論が全面的に正しいとも思いませんが、いずれにせよ
閉塞感のある現在の状況を打開するためには、宮台氏の本書のような提言を考慮しつつ
日本も設計変更しなければいけない時期に差し掛かっているのかも知れません。
「設計主義」への抵抗はいかにして可能か
★★★★★
宮台真司氏とその「弟子」、鈴木弘輝氏と堀内進之介氏の鼎談本。「弟子」としたのは、二人が宮台氏の議論に徹底して反論している点による。
まず、分かりにくい。どうして分かりにくいのか考えたところ、終始議論がチグハグだからだと分かる。特に、堀内氏の問いかけに宮台氏があまりきちんと答えられていない点が大きい。その中で、宮台氏独特の議論を、2人が少しずつ論理で追い込んでいく様は、さながら詰め将棋みたい。これまで宮台氏の議論に、「何だか正しいような気もするし、煙に巻かれた気もする」といった感想を持った人には、その「煙に巻かれた」感が何によるのかよく分かる。その意味で本当に良書。星5つ!
本書は「幸福の条件」をキーに、政治、教育、オタク論等幅広く論じた本であり、「幸福とは何か」という哲学的な問題を語るものではない。その意味で社会科学的な本だと思われる。しかし、宮台氏の立場は、「幸福の条件をいかに設計するか」という問いによって、「幸福とは何か」まで踏み込んでしまっており、結局2人ともそれに引きずられてしまっている感がある。が、2章での堀内氏の議論と、4・5章の鈴木氏の追いつめの様は圧巻である。
「リベラルな権威主義の既成事実化が人びとの意識の外でじりじりと進行するなかで、腹を括れず良心的にものを考える者は、美学的な生の充実が政治的な関心へと至ることを期待する、麗しいが無力な理想と、幸福になれるという理由で人びとの同意を先取りして動員する、有効だが節操のない支配欲の間で進退に窮する。」
とは、あとがきにある堀内氏の言葉だが、この言葉に本書の全てが集約されているように思える。
個人的には、「美学的な生の充実が政治的な関心へと至る」ことを同じく理想としたいが、ではどうやって?の部分には答えてくれない。美学的な生を考えることから、美学的な生は始まるということか。
自立(=「知ってなんぼ」)と依存(=「知らぬが仏」)
★★★★★
「知ると高い確率で不幸になるが、知りたいか」
ソーシャル・デザイナーは「機能の言葉」のみを激烈に応酬しつつ過剰な偶発性に晒されながら闘争する。
多くの人びとは「真理の言葉」で偶発性を遮断しながら日常を生きている。
「このギャップの問題性に気づいてほしい」
<予期理論>
「何ごとも「見える」水準に留まります。・・・「自分は誰某より「全体性」を知っている」のではない。
あくまでそう「見える」に過ぎず、「見える」ことを支える文脈(=関係の絶対性(見田宗介))があるに過ぎない」
「快楽はなぜあるかという問いからこそ、残虐をも含めた全体性へと開かれるのだ」
「ぼくは、予期理論という方法を、あえて採用することで、
「非真なる全体(アドルノ)=関係の絶対性」へと開かれる態度を、自覚的に強く推奨しています」
対決ですか?
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タイトルと目次にひかれ購入。宮台は時折テレビなどで見て知っていたが、本にはなじみが無かったので、どんなことを考えているのかと思い買ってみた。私には正直、ちょっと難しい内容だったが、堀内の厳しい反論が印象的で真剣勝負という感じがして、こんな本もあるのかと驚いた。最初、宮台は同じことをずっと主張していて、それに堀内や鈴木が異議を唱えていると思ったが、よく読めば宮台は途中から言っていることが変わっている。苦戦のため補うたごとに揺らいでいく感じがある。そのことを本文中で何気に揶揄されている。しかし宮台への反論に始終せず、鈴木や堀内は自らの考えをもっと展開すべきであったと思う。語りという形式での限界はあると思うが勉強にはなった。