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苦悩する人間 (フランクル・コレクション)

価格: ¥1,995
カテゴリ: 単行本
ブランド: 春秋社
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人間の実存を実現するために ★★★★☆
生命的、心理的や社会的存在から自らをとき放ったときに、人間の実存的存在が、実現することを 「制約されざる人間」 に引き続いて明らかにしています。
この、実存は、具体的には、苦悩を引き受ける事によって実現すると説いています。

その内容は・・・
実存を実現するのは、まず、創造や体験価値の実現だが、それらが、制約されれば、その時こそ、態度価値という価値を実現する機会が与えられる。態度価値の実現では、人間は、いかなる制約も持たず、どのような条件や境遇や運命からも自由であるとともに、苦悩への自由を持つこととなる。
苦悩を引き受ける勇気、つまり、存在に耐えること、運命に耐えることである。
まず、この苦悩を受容するために、苦悩を志向する必要があり、志向できるためには、苦悩を超越しなければならない。意味に満ちた苦悩は、すぐれて犠牲なのであり、この犠牲を払うことによって、苦悩を超越する。この犠牲の意味づけによって、この苦悩を事実の次元から実存の次元へと高め、自分自身を超越する。

・・・というわけです。

その上で、人間とは何であるのかとの問いには、人間とは、自分がどのような存在であるかを常に決断する存在者であり、人間の人生の究極的な意味は、超越であると、答えています。また、フランクルは、明確には断言していませんが、人間が進化してきたのは、自然淘汰によるものでは無く、何らかの意思が存在すると考えていると読み取れました。著者が、医師として、ダーウィン進化説に挑戦している態度に感銘します。

苦悩する事が、他者への自己犠牲であり、それを受動的に甘受することで、自らの人生を超越するという、すこぶる仏教的な利他行ともいえる生き方に感動を覚えます。
しかし、やはり、翻訳の文章が硬く、読者を遠ざけているように思えますので、☆一つ減点。
尊敬する人 ★★★★★
フランクルの言葉の一つ一つが、心の中を洗ってくれるような感じです。
苦しくてどうしようもない時に手を差し伸べてくれるような言葉。

私のようにちっぽけなことで悩んでいる人も、もっと大きなことで悩んでる方も
是非読んでほしいです。

言葉は難しいですが、その言葉の一つ一つに救われます。
苦悩の観察が宗教的無意識を発見した ★★★★★
本書は、『制約されざる人間』の続編である。著者によれば、前著は生理学主義を批判したものであり、本書は心理学主義と社会学主義を批判したものであると言うが、著者が意図したことと違う所で本書は極めて重要である。
第1章では、「ロゴテラピー=心理療法+ロゴス(=意味・価値の省察⇔あるべきこと≠論理)」と「実存分析=心理療法+実存(=自由・責任の省察⇔ありうること≠分析)」という明確な定義を与え、「ロゴテラピー=精神的なものから出発する療法」と「実存分析=精神的なものへ向かう療法」とが同一理論の2つの面を表していることを強調してから、心理学主義の批判を開始するが必ずしも成功していない。
第2章で、著者は“快は目的ではなく結果であり、苦は逃避すべき対象ではなく他者のための供犠とみて超越すべき機縁である。”といった考え方を敷衍する。これは自らの戦争体験から実感したことであろう。
第3章では、“無意識の宗教性を調べることから明らかになったように、実存分析は宗教性を無意識なものへと抑圧することを努めて排除し、ロゴテラピーはいつかは意識的になる宗教性に対する妨害を排除しなければならない。”と述べている。さらに、“総括して言おう。実存分析の対象は無意識の信仰である。ロゴテラピーの対象は意識された不信仰である。”とまで言い切っている。
本書の価値は、フロイトの「個人的無意識」、ユングの「集合的無意識」、ソンディの「家族的無意識」に対して、フランクルの功績は「宗教的無意識」といえる領域を開拓したことだと思う。宗教的無意識とは釈尊の「諸法無我」によって否定された「我」の極限を「神」と考えて固執することである。その開放を内部と外部から目指そうと言う訳である。