フランクルのナチスによって生活のすべてを奪われ,強制収容所に送られ,そこでの凄惨な生活を生き抜いたという経歴が,彼の理論に威厳と説得力を与えているのは疑いようのない事実である。どのような理論もその創始者の生き方を反映したものであるが,フランクルの創始したロゴテラピーの実践は,フランクルの人生そのものであるといっても過言ではない。これは精神科医と精神医学的理論の関係よりも,偉大な宗教家と宗教の関係に近い。一つの透徹した理論とそれを体現する人生は,偉大な宗教家の人生と同じく人類の宝の一つであるといって良いだろう。もちろん彼の理論は,宗教でなく,精神医学や心理学の領域の業績である。意味の探求は一つのパラダイムとして精神医学,心理学の中に受け入れられている。
フランクル自身が言うように,彼の理論は時代精神の申し子である。フランクルの理論を生み,それに耳を傾けたのは,戦争の無意味さや残酷さを十分に知る世代であった。時代は止まることなく進んでいる。現代の若い世代は,意味と無意味をどちらも十分には体験していない世代だと言えるのではないだろうか? 残されたわれわれにとってフランクルの理論を,現代にどのように生かして行くかは今後の重大な課題である。