諺とは口伝される人生哲学
★★★★★
その項の諺を表す著者作の小話、世界の類似した諺、その諺から連想する現代世界の姿、という形式で一項を成す。
著者の知識と筆力を余すところなく発揮した本編に、解説は養老孟司氏という豪華さ。
世界共通の人生哲学を知る、というだけでも十分に面白い企画で、通訳者としての著者の知的好奇心ならでは。
その土地に根差した名詞が登場し、特に英語圏外の地域について、地理歴史で学んだ時より楽しんで想像が広げられる。
覆水盆に返らず…零れたミルクを嘆いても無駄…マングースを殺して後悔しても手遅れ、という具合。
最後のマングースが登場するネパールの物語などは、日本の「ごんぎつね」にも似て、驚く。
「オリガ・モリソヴナの反語法」を読んでからは、なぜ著者が国の在り方に厳しいのかが理解できた気がする。
個人を保護するためであった筈の国家が、個人を食い荒らしてゆく恐怖。人間としてすら扱わない組織の酷薄さ。
それを知っているからこそ母国に同じ道を歩ませまいとする、これこそが真の愛国心だと思った。
著者の政治への痛烈な批判が、ただの反社会的行動、体制に反逆するものとして認識されるのであれば残念だ。
例えば「後の祭り」に引用されている、「憲法改正国民投票法案」の草案。
憲法改正に際しては国民の直接投票によって是非を問おうという、非常に民主的な法案に思える。しかし。
68条 何人も国民投票に関し、その結果を予想する投票経過又は結果を公表してはならない
70条の3 何人も新聞又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない
85条 以上に違反した場合は、二年以下の禁固又は三十万円以下の罰金に処する
あからさまな言論統制であり、報道の自由を侵している。政治家を律する法律と違い、ご丁寧に罰則まで付いている。
「国民に議論したり考えたりすることを封殺する北朝鮮も顔負けのやり方」と著者が憤るのも無理はない。
それでも、これだけ世界共通の諺という哲学があるのならば、人類の進むべき道は自明の理ではないか。
どうか世界の歴史に学んでほしい。自国のために他国に興味を持ってほしい。著者のそんな叫びにも聞こえる。
こう書くと説教臭い硬い本と思われそうだが、下ネタは世界共通とする著者により、笑える本になっている。
著者作の諺、「締切を守らなくても死にはしない」「人生は生き直せないが原稿は書き直せる」に倣い、諺を表す諺を作ってみよう。
「人間への普遍の戒め」「短く語呂もいい先人の知恵」「嫌々聞けば小言、喜々と聞けば金言」
「終り良ければ全て良し」の名エッセイ
★★★★☆
ロシア語通訳の第一人者にして、ユーモアと批判精神に富んだエッセイ家、壮大なスケールの作家として著名な米原氏の遺作。国が異なっても同じ意味(表現は異なる)の諺も存在するし、逆に国毎に意味が正反対な諺が存在する場合もある。本書はそんな諺を題材に、各国の同質性/異質性を論じたもの。本書の多くは闘病生活の中で書かれたと思うが、明るさと前向きさを失わない姿勢で、このようなユーモア溢れる構想を考える米原氏には感心する。紹介される諺の数も半端ではない。尤も諺は導入で、本書の目的は2003年以降の地球規模での世相を斬る事にあったと思う。普段にも増して舌鋒が鋭く、表現も直裁的である。
ちょうどこの頃、9.11事件やイラク戦争があったのだが、アメリカの"手前勝手"主義批判が辛辣である。そして、それに追随する日本、特に小泉首相(当時)に対しても。持てる国が、持てない国を制限する国際レジームの欺瞞も、植民地政策と同根であり、この辺の仕組みを分かり易く解説してくれると共に批判も鋭い。また、日本で使用されている諺で、多分中国辺りが発信地だろうと思っていたものが、実はヨーロッパ発祥だったりすると、時空を越えた不思議さを覚える。そんな諺も、米原氏はチャント用意してくれる。十八番の"シモネッタ"も健在であり、大いに笑わせてくれる。まさに、ユーモアと批判精神溢れる名エッセイである。「終り良ければ全て良し」。
権力・戦争を嫌い、人々の日常的平和を愛する強い信念を持った米原さん。それを、ユーモア交じりに我々に語ってくれた米原さん。もっと多くの作品を読みたかった。
やはりジョークの切れがよい
★★★★☆
2003〜6年にどこかの月刊誌に時々穴をあけながら連載されていたエッセイのようです(少なくとも1年に5〜10編。著者の「満身創痍」という言葉の使い方から類推。訃報を聞いた時はびっくりしたけれど)。
人間が作る「諺」のパターンには、欲や愛憎が絡んだものは世界共通でありながら、「捨てる神あれば拾う神あり」といったものは日本独特ださうです。そんな諺をネタにした切れのよい小咄(ジョーク:多くはシモネッタ)のあと、同じような意味を持つ世界の諺を紹介し、オチをつけるというパターンの読みやすい本です。
ただ著者の面白さは、通訳という職業を介して日本人と他の国の人とのギャップをうまく紹介するところにミソがあると感じているので、政治への批判は個人的にはやや不快でした。そう思いながら読んでいても、オチでは吹き出しそうになっていましたが。
そうこう言っても読了してみれば、サブタイトル通り、ちゃんと人類学になっているような気がします。
諺で世相を斬る
★★★★★
ことわざを網羅的に紹介する、腑抜けた本も多数あるが、本書は2003年から2006年の日米関係やロシアの政治を中心に、諺という刀でバッサバッサと政治や社会を切っていく。そしてフランス小咄のような「お色気」(がちょっと度が過ぎていることもあるが…)もあり、その筆力・見識・知識とウィットに圧倒される。
こうして米原さんが書き残して下さったおかげで、無意味な死にならずに浮かばれた「無名の人々」もいると思う。感謝したい。また、こうして生きている私たちが1999年からの激動の10年を振り返るとき時の、良き羅針盤になる本だと思う。
繰り返し読みたい名著だ。
米原万里流「多事争論」:小噺+各国の諺+政治批評
★★★★☆
小噺(こばなし)で始め、小噺に関連する日本&外国の諺を列挙し(太文字で印刷)、最後に強烈な政治批評でしめる、という感じで書かれたエッセイ集です。(何本か例外はありますが)身近な諺が如何に普遍的なものなのか、卑近な小噺の世界をズーム・アウトすると如何に国際情勢についても言い当てられるものなのか、について考えさせられました。
そして、本書は米原流「多事争論」なんだな、とも思いました。「自由の気風は唯(ただ)多事争論の間に在りて存するものと知る可し」(→「自由の気風は必ず反対意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する」)という福沢諭吉の言葉を(自らの死期を覚悟して)体現しようとされたのではないか、と思います。本書の内容は2003〜2006年の国内・国際事情が色濃く反映されており、当時の権力者達にかなり毒づいています。(そこで本書の好き嫌いが分かれるかもしれません...) 現在(2009年)も米原さんがご存命なら、どの様に書き続けられていたか(or 書かれたモノを振り返ったか)、興味があるところですが、そういうエスプリの効いた文章がもう読めないのは残念です。