大江健三郎を崇めず、かつよく知ること。
★★★★★
近年、大江健三郎を人格者として捉えようという風潮があるようだが、それはどうかと思う。彼の作品をあまりに「私小説」として読みすぎているのではないか(もっとも、小説に出てくる大江風の人物が好人物とは思えないが)。対談や鼎談で見るかぎり、大江は、子供じみたことを平気で言うし、近年はさほどでもなくなったが、他人に対して執拗に幼稚で攻撃的な態度をとったりする。しかし、彼の生み出す小説が素晴らしいのは否定のしようがない。いまや学者が「古い」と批判するような文学理論や作家に固執し、そこからまさに想像力の賜物というべき「新しい」小説を生み出している。この本は、そんな彼の創作に対する態度を垣間見れるもので、読んでいると過去の作品を再読したくなってくる。
ただ、あの小森陽一が大江を持ち上げる以上のことをせずに、褒めちぎり大会に堕しているのは残念だ。
このような本を読むたびに、今の時代に、大江と三島由紀夫が対談できれば…と思ってしまう。三島は、まさに作品と生き方を無理にでも結び付けようとした、ある意味ではもっとも「私小説家」らしい作家だったと思うからだ。特に、もう一つの鼎談を読むと、大江を外から見つめることのできる存在は、いまや外国の作家や文学者にしかいないのかと思える。