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国語教科書の中の「日本」 (ちくま新書)

価格: ¥798
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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教育がどういう社会的成員を育てようとしているのか、意識的に目を向けるための好著 ★★★★☆

 日本の小中学校の国語教科書に収められた文章を見ることで、意識的であれ無意識的であれ、そこに織り込められたイデオロギーとしての「日本」を読み解こうという書です。

 著者が国語教科書に読みとった特徴をいくつか引くと:
 ○「おむすび」が取り上げられた文章が多く、古き良き時代のお袋の味として子どもの潜在意識に働きかける機能をもっている。少年時代の思い出という「個人的文化資本」が「共同体的文化資本」と接続可能になる。そのことによって社会や国家といったものを、同一性を保持したものとして再認識させる役割を担う。
 ○都会生活を描いた文章が少なく、「自然に帰ろう」、「昔はよかった」というメッセージが強く打ち出されている例が多い。
 ○入試の国語では現在通用しているパラダイムを身につけているかがよく問われる。入試に少し遅れてこのパラダイムが国語教科書に強い影響を与え、結果として国語は道徳教育になる。

 私自身も小中高生時代は、教師の顔色を見ながら国語教材を「正しく読み解く」ことに腐心していた記憶が鮮明にあります。中学時代に読書感想文で教師に批判されたのを機に、読書をやめてしまった経験もあります。
 本書終盤で著者は私のような、国語で×をつけられて人格を否定された思いをした人の話を記しています。自由に文章を読むということの理想と(学校内)現実との大きな隔たりをどう埋めるのか。

 著者は一つの解として、教師が生徒に対して、あなたの意見が「正解」とされるパラダイムもあり、そのパラダイムが社会の中でどういう意味をもつのかということについても考えさせる必要がある、と訴えます。そこまで考えさせることこそが「論理的思考力」を学んだことになるというのです。
 大変意義深い提言だと思います。

 しかし、これだけの深い国語授業を果たすための先生がたの能力と負担を考えると、少々暗澹たる気持ちにならざるをえません。
受験国語の呪縛からの開放! ★★★★☆
 高校時代、成績は良くなかったですが古典・漢文は好きでした。
現代国語も取り立てて嫌いと言うわけでは有りませんでしたが、
試験は苦手でした。
 そんな短い文章からなんでそんなことが分かるの、と言うような
設問が多く、小説の読解力を高めるために(?)心理学の本を
読み始めるきっかけにはなりました!
 入試国語では、現在通用しているパラダイムを身に付けているか
どうかが問われる、という指摘には納得!これまで尾を引いてきた
受験国語の呪縛から完全ではないですが逃れることができました。
 経営関係以外の本でパラダイムと言う言葉が出てきたのには
少し驚きました。著者は色んなパラダイムを身に付けなさいと言って
います。私も学生達に「色んな色眼鏡を身に付けなさい」と言って
いましたが、主旨は一緒です。寧ろ私自身が複数のパラダイム
(色眼鏡)を身に付けていない事に気付かされました。
教科書が作る「ふつうの子ども」 ★★★★★
本書は、日本近代文学を専門とし

現在は早稲田大学教授である著者が、

国語教育の問題点について論じる著作です。


著者は、国語教育がイデオロギー装置であると述べた上で、

個別の教材を精読し、その教材のどこに問題なのか

さらに、国語教育全体の問題点を指摘します。


「古き良き日本」を印象付ける教材

文章から「教訓」を得ようとする傾向が如実に現れたPISAの結果

休職してまで大学院で最新の知識をインプットする教師の話

など興味深い記述が多いのですが


とりわけ印象的だったのが、本書の末尾で展開される

イニシエーションとしてのセンター試験という議論です。

内面を社会に回収していく中で

言葉では言い尽くせない

不気味なものへの感度が鈍っていく

・・・という指摘は示唆に富んでおり、

自分は「そうしたもの」への感度が鈍っていないか

たえず気をつけたいと感じました。


また、もう一つの本書の大きな魅力が

著者の軽妙な語り口です。

「こころのノート」を「不気味」と評し

小学校六年生にまでなってロボットの犬と本物のイヌの区別がつかないバカがいるだろうか

と読者に問いかける文章に

思わず笑みがこぼれれてしまいましす。


国語教育の問題点を指摘するとともに

私たちの物の見方・考え方にも、再考を促がす本書。


国語教育に関心のある方はもちろん

自分自身の本の読み方を見つめなおすきっかけとしても

一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。
国語の教科書にのる、一種のゴア表現 ★★★★★
歴史の教科書は、いろいろニュースになりましたが、それと同じくらい重要な国語の教科書も、なにか正しい感じ方を強要するような、テキストを集めているようです。

僕的には、この問題はシンプルで、日本はいい国であることと、戦争に負けたことをきっちり伝えていけばいいと思うのですが、
現実は逆に、日本が残酷であることや、敗戦を終戦と言い換えるようなことをつづけています。

映像やゲームでは、ゴア表現といった残酷は規制の対象となるのに、教科書ではスルーというのもおかしなはなしですね。
ニュースのコメンテイターがいくら憤っても殺人がなくならないように、戦争の悲惨や残酷を伝えれば、戦争がなくなる訳ではないと思います。
「国語」教科書の言説分析 ★★★★★
 実際に現場で国語を教える者として興味深く読んだ。僕自身も「国語」教科書に流れるある種のいかがわしい思想については感じていたけれど、石原氏は丁寧な分析をし、そのいかがわしい思想をかなり明確に述べたと思う。「いかがわしい思想」と書いたが、これは要するに、教科書に通底する言説だ。「友達は大事」「日本はすごい」「国語は美しい」などなど、いろいろあるだろう。
 教育という現場は、基本的にこうした価値観(常識)を子ども達にたたき込む場であると思う。おそらく、このような常識をたたき込まれないものは、この社会ではじかれるんだろう。
 ただ、だからといって、言説の垂れ流しに対して教員が無感覚になるのは問題だと思う。石原氏が挑発的に、「国語教育は道徳教育だ」と述べているのは、テキストやテキストの連関から生成される意味や効果(ナショナリズムやジェンダー、家族、自己・他者論の問題など)に対して、無自覚な教員が多い、ということなんだと思う。「ある種(社会・文化)の欲望」である道徳に対して、国語の教員こそが批評的であって欲しいものなのに、そうではない現実がある。そして、こうした議論すら知らない教員も多いのだろう。さて、どうしたものか・・・。

 いずれにせよ、実際に授業をする側としては、自分が気づいていないテキストの欲望(権力性)を暴き出してくれるのは助かる。そのことを授業で問題とすることもできるわけだから。教科書教材を言説分析する専門家がもっと増えて、現場に材料を提供してくれることが多くなればいいなと思う。むろん、それはまたその人の言説であり、ある種の欲望の形として語られることばだから、そのまま受け入れてしまうと、結局同じことなんだろうけどね。
 是非とも同業者には読んで欲しい本だ。高校の教科書の分析も読みたい。
 最後に、本書をもっと補うために、教員用の「指導書(教科書教材の分析、教え方、課題テストなど)」のことばを分析すると、石原氏の論がより明確となるかもしれない。