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哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)

価格: ¥903
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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執念深い ★★★☆☆
以前、同じ著者による『相対主義の極北』にトライしたが、そのあまりのしつこさに三歩歩まず挫折。にもかかわらず類書のないユニークさにひかれ懲りずに今回本書を読んでみた。遡上にのぼる4人の哲学者の文章は、過去に著作を読んだことがあるし馴染みがあったし気に入っている。今回は入試問題としてチャレンジ気分で読めだ。だがそれらについての著者による解説は、自分であとがきにのべているように「執念」のこもったもので、議論はねちっこく通読はやはり骨に感じたので、選択的に読んだ。著者のひっかかりのポイントに深いところで共感できる人でないと、なかなか著者のすべての思考過程についてくのは大変だろうと思う(ちなみに『相対主義の極北』の粘着度は本書の比ではなかった)。立ち読みを少ししてからご購入決定されることをおすすめします。
元大手予備校人気講師の面目躍如 ★★★★★
 世に哲学入門書は数あれど、これほどの異色作は過去に例がないのではあるまいか。
 大学の入試問題として出題された哲学論文の中から、出題者が誤読していると思われるものをピックアップし、その原因および正しい読み方を検証するという内容である。俎上に載せられるのは、野矢茂樹、永井均、中島義道、大森荘蔵の諸論文であり、いずれも日本を代表する哲学者である。
 入試問題で要求されるのは読解力であり国語力であるが、本書はもちろん国語の本ではない。4人の論文の字面(テキスト)だけでなく哲学そのものに迫る内容になっているので、それぞれの哲学者への入門書としても読むことができる。
 アルバイトとして予備校講師を勤めていたことのある(それも大手予備校の人気講師だったと聞く)入不二ならではの発想であり、彼でなければ実現しえなかった企画であろう。塾の講師で生計を立てていた哲学者は少なくないであろうが、それを苦い思い出として葬り去るのではなく、このような形で恩返しできるところに入不二の器の大きさがうかがえる。
 永井均の『マンガは哲学する』と並び、個性的としか言いようがない哲学入門書である。「哲学と入試」という取り合わせは「哲学とマンガ」という取り合わせ以上にシュールな印象を受ける。感情を排したドライな哲学が持ち味である入不二の、珍しく熱い想いが感じられる「個人的な」一冊と言えよう。
「哲学」と「日常」 ★☆☆☆☆
 受験に関係するものとして、標題といくつかのレビューに惹かれて手にした。

 第一章だけ読んだが、俎上にあげられた「哲学者」の文章も、誤読を指摘する「哲学者」のそれも、何故もう一歩踏み込んで「痛み」や「知覚」や「分かる」の意味を語らないのか、まさに隔靴掻痒の感がした。また「日常と哲学の対比・隔たり」などという、「哲学」を特権化するような表現にも、違和感を拭い去ることができなかった。

 著者はマクタガートの時間論の紹介者らしい。マクタガートをウキペディアで調べたら、ヘーゲリアンで20世紀イギリス観念論の代表者らしい。最近、中島義道氏も「未来はない」などということを言っているが、それで分かった。

 「われわれの日常語は、哲学者が理解しているより、その用法においてずっと精妙であり、ずっと多くの区別立てを示す、というのが事実であって、また、知覚の事実は、例えば心理学者によって発見され、また素人によっても気づかれているように、哲学者達がこれまで認めてきたよりずっと多様で複雑である、というのが事実なのである。」
(J.L.オースティン『知覚の言語』P14 勁草書房)

 私が感じた違和感は、哲学の一つの流れに惹かれている者の、別の流れに対するものであったようだ。
大切なことに気づかせてくれる好著 ★★★★★
新進気鋭の哲学者が、大学入試の現代文問題に挑むという内容である。ただし、取り上げられる題材は日本の代表的な哲学者によるので、短い文章ながら、それぞれの哲学者の入門書として読むこともでき、私のように大学入試問題に関心がない者でも、じゅうぶんに楽しめた。

決してやさしい内容ではないのだが、入不二氏のくせのない端正な文章のおかげで、たいへん気持ちよく読み進められた。それはまた、入不二氏が、出題元である野矢茂樹氏、永井均氏、中島義道氏、大森荘蔵氏に同じ哲学者として尊敬心と畏怖心を持ち、おのおのの短文に誠実に向き合おうとしているからでもある。

入不二氏の文章はとにかく明快である。「のかもしれない」「のだろう」「と思う」「にちがいない」などの推量表現を極力避け、私たちを着地点に連れて行くために、綱渡りのような論理の連続を見せてくれる。一貫した立場とブレのない視線、そして何よりも自分の読みに揺るぎのない自信があるからこその名人芸である。

哲学の誤読とは何か。それは「哲学している」文章に不誠実に向き直ることである。私たちは、ある疑問に対する答えを求めるために文章を読むことに慣れすぎ、哲学に対しても同じようなスタンスをとってしまう。哲学にすら答えを求め、答えのないものに答えを見つけてしまう。それこそが「哲学の誤読」である。

「哲学している」文章には答えは書かれていない。そこにあるのは、永遠に「哲学せざるをえない」哲学者の編む悲痛なプロセス、そしてそれを誰かに伝えたいと思う強靱な意志だけである。読者は書き手と一緒に「哲学する」しかない。だが、入試問題の出題者の多くは、その悲痛な文章を鈍感に切り取り、穴を空ける。また、受験産業の解答者は、まるで文章が100%わかったかの顔を受験生に向けて、その文章を自分の「知識内」にあるかのように解説していく。入不二氏のような誠実な哲学者にとって、それは痛みが走るほどの愚行でしかない。

文章を読むときには、わかった気にならないこと、強引に自分の論に引き入れないこと、つまりは誠実にそれと向き合うこと、そんな当たり前だが、大切なことに気づかせてくれる好著である。
哲学系入試現代文の徹底した読み込み ★★★★★
過去の入試現代文のうち、哲学系のものを4つ選び、それを300ページ近くかけて徹底して読み込んでいます。
その中で、どのようにして誤読が起きてしまうのか、哲学が誤解されてしまうのか、をうまく分析しています。

また、入試特有の「勝手な文章の改変・省略」なども扱われていてなかなか面白いです。

扱われている哲学者も、野矢茂樹・永井均・中島義道・大森荘蔵とそうそうたるメンバー。
内容は、野矢の文章を除いては時間論三本と、少し偏りはありますが。

あなたは誤読をしてしまう、という事実が突きつけられてしまうと、普段の読書でもなんか恐ろしくなってしまう。
特に哲学書は。


入試の書としても哲学の書としても楽しめる。
なかなか良書